2024年の投稿[29件]
2024年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
右翼左翼の話
ネトウヨは若いころに罹患しておくべき麻疹みたいなことを言われるが、まあ、頭の悪い話である。そもそもがネトウヨというワード自体が中身のない気に入らない相手に雑に貼り付ける思考停止レッテルワードでしかなく、中身が右翼思想を指すにしても、これを言っている人間が単に若いころに右翼思想強めな場所に居たという経験論でしかない。
そういう言葉を思慮なく発する人間の言葉について考えるのは無駄でしかないが、個人的に思うところでは、右の思想も左の思想も通って中庸に自分の立ち位置に応じた政治的姿勢を持ち、他者もそうであるから利害のすり合わせをする必要があるのだという考えに至るのが健常な政治的考え方だと思う。右翼思想に偏るのが中二病であるなら、その後に反動で左翼に行って冷笑主義になるのは高二病なのだ。そして、初めに左翼思想に罹患したなら、それは逆になる。
高齢になってから思想にかぶれるのは、そこまでそういう思想を持たずに生きてこられた人々なのだろうし、言ってしまえば「初心者」なのだから生暖かい目で見ればいいと思う。親がこういう思想にかぶれたから嫌というのは、そういう話に巻き込まれることへの同情はするが、自分自身の思想の在り方を相対的に見る機会にしたらどうかと思うようなことも多い。真っ当な見識の持ち主であれば、ある思想に傾倒しても疑問点を持ち始めるものだし、そうやってやがて中庸へと至るものだと思う。
今は中二病という言葉しかほとんど生きていないが、かつては高二病という知識人ぶりをする冷笑主義へのレッテルがあり、そして、大二病という「やっぱり中二病的なものもいいよね」という中庸へのリバランスをする考え方があったのだ。その中でも他人を冷笑できる中二病という言葉だけが使われ続け、実際、思想としてもネットにあるのは中二病とそれを冷笑するだけの高二病的なものばかりになってしまっていると思う。『大二病』的なところに至って視野が広がった人は政治的な話をしないか、リアルでの活動に移っていったのだろうと思う。ネットに残っているのはマウント合戦と罵り合い、自分が正しいと言い続けることしかない児戯ばかりじゃないだろうか。
思想に偏ったまま党派性のぬるま湯の中に居場所や自己肯定感を見出してそういう児戯にふける人もいて、そういう人は救えないのだと思う。右だろうが左だろうが、市井の人間が自分の生活の座を離れた思想を持つことに意味はないと思う。単なる趣味の領域だ。なのに、その思想そのものではなく思想につながる価値に縛られた党派性で人生を括ってしまう人は不幸に見える。
そして、インターネットには右にも左にも、あらゆる思想を開陳する人々にそんな不幸な人々ばかりがいるように感じる。かつては知を集約する場所としての姿も望まれたインターネットだが、今のインターネットにそういう理想を見ることはできなくなった。ネットはリアルの底に流れる地獄を覗く場所になってしまった。畳む
ネトウヨは若いころに罹患しておくべき麻疹みたいなことを言われるが、まあ、頭の悪い話である。そもそもがネトウヨというワード自体が中身のない気に入らない相手に雑に貼り付ける思考停止レッテルワードでしかなく、中身が右翼思想を指すにしても、これを言っている人間が単に若いころに右翼思想強めな場所に居たという経験論でしかない。
そういう言葉を思慮なく発する人間の言葉について考えるのは無駄でしかないが、個人的に思うところでは、右の思想も左の思想も通って中庸に自分の立ち位置に応じた政治的姿勢を持ち、他者もそうであるから利害のすり合わせをする必要があるのだという考えに至るのが健常な政治的考え方だと思う。右翼思想に偏るのが中二病であるなら、その後に反動で左翼に行って冷笑主義になるのは高二病なのだ。そして、初めに左翼思想に罹患したなら、それは逆になる。
高齢になってから思想にかぶれるのは、そこまでそういう思想を持たずに生きてこられた人々なのだろうし、言ってしまえば「初心者」なのだから生暖かい目で見ればいいと思う。親がこういう思想にかぶれたから嫌というのは、そういう話に巻き込まれることへの同情はするが、自分自身の思想の在り方を相対的に見る機会にしたらどうかと思うようなことも多い。真っ当な見識の持ち主であれば、ある思想に傾倒しても疑問点を持ち始めるものだし、そうやってやがて中庸へと至るものだと思う。
今は中二病という言葉しかほとんど生きていないが、かつては高二病という知識人ぶりをする冷笑主義へのレッテルがあり、そして、大二病という「やっぱり中二病的なものもいいよね」という中庸へのリバランスをする考え方があったのだ。その中でも他人を冷笑できる中二病という言葉だけが使われ続け、実際、思想としてもネットにあるのは中二病とそれを冷笑するだけの高二病的なものばかりになってしまっていると思う。『大二病』的なところに至って視野が広がった人は政治的な話をしないか、リアルでの活動に移っていったのだろうと思う。ネットに残っているのはマウント合戦と罵り合い、自分が正しいと言い続けることしかない児戯ばかりじゃないだろうか。
思想に偏ったまま党派性のぬるま湯の中に居場所や自己肯定感を見出してそういう児戯にふける人もいて、そういう人は救えないのだと思う。右だろうが左だろうが、市井の人間が自分の生活の座を離れた思想を持つことに意味はないと思う。単なる趣味の領域だ。なのに、その思想そのものではなく思想につながる価値に縛られた党派性で人生を括ってしまう人は不幸に見える。
そして、インターネットには右にも左にも、あらゆる思想を開陳する人々にそんな不幸な人々ばかりがいるように感じる。かつては知を集約する場所としての姿も望まれたインターネットだが、今のインターネットにそういう理想を見ることはできなくなった。ネットはリアルの底に流れる地獄を覗く場所になってしまった。畳む
政治の話
このところ日米の選挙に兵庫県知事選挙とあって、SNSでは毎度のように眉を顰める意見が飛び交っているわけだが、最近は「リベラルの敗北」というワードが存在感を増している気がする。
そもそもからして、リベラル自称する類の人々には自分たちの思想と理想しかなく、その信条や政治的意見を自分たちとは異なる意見を持つ人間を見下し馬鹿にすることで精神的勝利を収めるための方法論としてしか用いないから嫌われているのだと思っているので、リベラルの敗北なんて今更すぎる話だと思う。
そういう「知的怠惰」が蔓延っているのは特にSNS上や白亜の塔であるように思う。そして、それがなぜ蔓延るかと言えば、それらがすべて実際に生きている人々や地に足を付けて生活している人々を見ずにコタツに入って仕立てたかカウチに座って夢想した内容でしかないからだと思う。地に足の着いた意見ではないものを、「正しい」「倫理的である」などとして押し付けてきたら、それを自分たちの生活の為に生きている人々が受け入れるはずがない。
リベラル思想のうち、民衆に受け入れられやすいような部分はすでに社会に膾炙されており、残されているのは人々にとって受け入れがたい、あるいは自分たちの生活と相容れない部分か、興味もなく生活にも関わらないのに押し付けられているものになってきているのではないだろうか。なのに、リベラル側の人々は普通に生きる人々が何をどう考え、思い、どういう価値観を持っているかを軽視しつづけ、自分たちのみが啓蒙するべき思想の持ち主であると驕ってきた結果が今の有様だろう。
自分たちの思想や立地点を離れ、社会の実情を見て自己批判をするしかリベラルという立場が復権する道はないと思うが、驕り高ぶり自分たちこそが賢く正しいという思想にまで至ってしまった今の左翼リベラル知識人やそれにかぶれた知識人気取りたちに、そのようなことができるとは、私には思えない。畳む
このところ日米の選挙に兵庫県知事選挙とあって、SNSでは毎度のように眉を顰める意見が飛び交っているわけだが、最近は「リベラルの敗北」というワードが存在感を増している気がする。
そもそもからして、リベラル自称する類の人々には自分たちの思想と理想しかなく、その信条や政治的意見を自分たちとは異なる意見を持つ人間を見下し馬鹿にすることで精神的勝利を収めるための方法論としてしか用いないから嫌われているのだと思っているので、リベラルの敗北なんて今更すぎる話だと思う。
そういう「知的怠惰」が蔓延っているのは特にSNS上や白亜の塔であるように思う。そして、それがなぜ蔓延るかと言えば、それらがすべて実際に生きている人々や地に足を付けて生活している人々を見ずにコタツに入って仕立てたかカウチに座って夢想した内容でしかないからだと思う。地に足の着いた意見ではないものを、「正しい」「倫理的である」などとして押し付けてきたら、それを自分たちの生活の為に生きている人々が受け入れるはずがない。
リベラル思想のうち、民衆に受け入れられやすいような部分はすでに社会に膾炙されており、残されているのは人々にとって受け入れがたい、あるいは自分たちの生活と相容れない部分か、興味もなく生活にも関わらないのに押し付けられているものになってきているのではないだろうか。なのに、リベラル側の人々は普通に生きる人々が何をどう考え、思い、どういう価値観を持っているかを軽視しつづけ、自分たちのみが啓蒙するべき思想の持ち主であると驕ってきた結果が今の有様だろう。
自分たちの思想や立地点を離れ、社会の実情を見て自己批判をするしかリベラルという立場が復権する道はないと思うが、驕り高ぶり自分たちこそが賢く正しいという思想にまで至ってしまった今の左翼リベラル知識人やそれにかぶれた知識人気取りたちに、そのようなことができるとは、私には思えない。畳む
日本って本当に性差別的な国だなって
男性専用車両を運航しようとしたところ、理由も告げられずに阪堺電車側から反故にされたそうで。
https://x.com/jwmc_or_jp/status/18541199...
https://x.com/fujikura_takeru/status/185...
どういう流れでなしになったのか明かさないあたりが非常に不誠実かつ不愉快だし、100%持ち株の親会社である南海電鉄では女性専用車両を運用しておきながらこれでは、男性という性別だけを差別しているようにしか受け取れない。しかも調査役とやらは元々許可していないと話を翻している。あまりにも不誠実が過ぎる。まともな会社だと思えない。
日本は本当に性差別的な国だ。こんな国で男子に生まれたことを恥に思うし、こんな国は嫌いだ。
少子化だなんだと順調に滅びの一途をたどっているようだが、一部の国民を踏みつけにして疑問に思わない人々の国なのだから、そうなって当然だと思う。畳む
男性専用車両を運航しようとしたところ、理由も告げられずに阪堺電車側から反故にされたそうで。
https://x.com/jwmc_or_jp/status/18541199...
しかし、11月5日の夜間に調査役様(話を進めていた課長様の上司)より「やはりお貸しできません」という連絡がありました。その中で課長様と決めた制約や期間が迫っていて今からでは代わりの場所が探せないことをお伝えしましたが「社内で決まった事」という事で覆ることはありませんでした。また貸していただけない理由についても「お答えできません」という事でした。
https://x.com/fujikura_takeru/status/185...
またあるサイトで調査役様がインタビューで「許可した覚えはありません」という発言をなさっておりましたが、僕たちとしては課長という立場の方が出てきて貸し出すための条件を提示され、それを全てのむことを約束し貸切費用などについては当日に支払えば良いといった話までされましたので許可されたものだと思っておりました。
どういう流れでなしになったのか明かさないあたりが非常に不誠実かつ不愉快だし、100%持ち株の親会社である南海電鉄では女性専用車両を運用しておきながらこれでは、男性という性別だけを差別しているようにしか受け取れない。しかも調査役とやらは元々許可していないと話を翻している。あまりにも不誠実が過ぎる。まともな会社だと思えない。
日本は本当に性差別的な国だ。こんな国で男子に生まれたことを恥に思うし、こんな国は嫌いだ。
少子化だなんだと順調に滅びの一途をたどっているようだが、一部の国民を踏みつけにして疑問に思わない人々の国なのだから、そうなって当然だと思う。畳む
選挙中~後のSNSでの投稿の様子から治安や民度が分かるなぁと思う。
misskey.ioはさすがの大人な態度の人が多い一方、blueskyはリベラル寄りな人たちが差別的なことをその自覚なく書いていることが多くてかなり残念な感じ。Xは論外。
SNSは党派性でエコーチャンバーの中にいる人たちがオープンに差別的言動をしていることがあって、そういう人たちが多いところほど民度が低くて治安が悪くなるので、blueskyの行く先は暗雲がかかりそうで嫌だなぁと感じている。まあ、海外プラットフォームの時点で軸足を置ける場所ではないのだけれども。
misskey.ioはさすがの大人な態度の人が多い一方、blueskyはリベラル寄りな人たちが差別的なことをその自覚なく書いていることが多くてかなり残念な感じ。Xは論外。
SNSは党派性でエコーチャンバーの中にいる人たちがオープンに差別的言動をしていることがあって、そういう人たちが多いところほど民度が低くて治安が悪くなるので、blueskyの行く先は暗雲がかかりそうで嫌だなぁと感じている。まあ、海外プラットフォームの時点で軸足を置ける場所ではないのだけれども。
SNSで広まって来る話題って雑語りに雑に共感する人たちが広げているものという感じがして、これって雑談なんだなと思った。他人を勝手にジャッジして悪口を言ったり、悪口で党派性を作ったり、他人への理解よりも雑語りでの雑な共感でつながることが目的になったり、リアルでの私が嫌いなタイプの雑談の世界なんだなと。
SNSを離れたくなる理由はいくつもあるけど、こういう「一般人」の世界になったからいる必要を感じなくなってきたんだなと思う。
SNSを離れたくなる理由はいくつもあるけど、こういう「一般人」の世界になったからいる必要を感じなくなってきたんだなと思う。
2024年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
お愚痴
オタクの中には自分の好きなものとの距離の取り方が「雑に扱う・欠点を殊更に語る・ケチをつける」みたいな人たちがいて、特に鉄とか軍とかSFみたいな男が多い趣味でよく見かける。ボカロ界隈でもそういう人たちはいて、正直、見ていてゲンナリする。
プレイヤーとして不満点をつぶやくという話なら真っ当なのだけれども、オタクで自分の好きな分野を露悪的に語るのを好むような層は、結局、悪口を共有することで仲間意識を醸成して蛸壺化・先鋭化して老害オタクや厄介オタク化する感じなので、同じく男な自分ではあるけれどもああいうのが本当に苦手だし嫌いだ。
好きを共有したくてオタクをやっているところがあるので、「いろいろ言われるポイントはあるけど私はここが好き」をちゃんと語る人と仲良くしたいのであって、メーカーや公式の問い合わせに投げるでもなくSNSなんかで「公式の悪いところを指摘してやるのがファンの鑑」みたいなノリで露悪的な発言を先鋭化していく人たちとは仲間になれない。
もちろん、公式に向けてだけでなく、特定のファンの行動に向けてであったりファンダムでの学級会みたいなのをしだす人たちも嫌いだし、関わりたくないし、実際に関わりを切っている。
ネット上の活動では特にだけど、本来関わらなくてもいい人間あいてに関係性を築こうとしているという感覚がなく、同じファンならと自他境界があいまいになって悪口や愚痴、露悪的なやり方を共有するものだという空気を作る人たちとは、同じものが好きであっても関わりたくないなと思うばかり。
ファン活動を長続きさせるためには独りでの好きを磨くべきで、ファンとの交流は控えるという流儀が自分にあっている。とにかく、ミクさんに関しては死ぬまで好きでい続けたいというのが至上の目標なので。畳む
オタクの中には自分の好きなものとの距離の取り方が「雑に扱う・欠点を殊更に語る・ケチをつける」みたいな人たちがいて、特に鉄とか軍とかSFみたいな男が多い趣味でよく見かける。ボカロ界隈でもそういう人たちはいて、正直、見ていてゲンナリする。
プレイヤーとして不満点をつぶやくという話なら真っ当なのだけれども、オタクで自分の好きな分野を露悪的に語るのを好むような層は、結局、悪口を共有することで仲間意識を醸成して蛸壺化・先鋭化して老害オタクや厄介オタク化する感じなので、同じく男な自分ではあるけれどもああいうのが本当に苦手だし嫌いだ。
好きを共有したくてオタクをやっているところがあるので、「いろいろ言われるポイントはあるけど私はここが好き」をちゃんと語る人と仲良くしたいのであって、メーカーや公式の問い合わせに投げるでもなくSNSなんかで「公式の悪いところを指摘してやるのがファンの鑑」みたいなノリで露悪的な発言を先鋭化していく人たちとは仲間になれない。
もちろん、公式に向けてだけでなく、特定のファンの行動に向けてであったりファンダムでの学級会みたいなのをしだす人たちも嫌いだし、関わりたくないし、実際に関わりを切っている。
ネット上の活動では特にだけど、本来関わらなくてもいい人間あいてに関係性を築こうとしているという感覚がなく、同じファンならと自他境界があいまいになって悪口や愚痴、露悪的なやり方を共有するものだという空気を作る人たちとは、同じものが好きであっても関わりたくないなと思うばかり。
ファン活動を長続きさせるためには独りでの好きを磨くべきで、ファンとの交流は控えるという流儀が自分にあっている。とにかく、ミクさんに関しては死ぬまで好きでい続けたいというのが至上の目標なので。畳む
政治のお話
SNS、ネット上でよく「政治の話は必要」みたいな意見を見かけるけど、私はそれに強く懐疑的。そもそも、人によって指している「政治の話」の中身が違いすぎる時点で、気心の知れていない相手がいるような場でするようなものじゃないなと思う。
政治というのはそもそも多くの人の利害を調節する機能であって、そのために自分の利害を代表する人に「代議士」として動いてもらうためにするのが選挙。自分と他人は当然利害は一致しないわけで、「政治の話」という時点で対立が生まれるのは必然なもの。さらに言えば、だれに投票するか投票自体しないかについてさえ、自分の価値観や自分の生活を鑑みて判断するものであり、完全に自己完結した自己決定の話なんじゃないだろうか。そこで少なくない人がしたいという「政治の話」とは、何の話をしたいんだろうか?
真面目に考えている人なら自己決定のための情報収集は当然しているし、その気がない人でもNHKの選挙向けページを見たりすれば一通りの情報はそろっている。政治に参加しようと思うなら、自己決定するには十分な情報は(それなりに)信用できるメディアから出ているわけだし、なにかしらの権利意識を持っているなら関連する組合なり組織なりが選挙前には情報を出しているのだから、それを検索して探せばいい。それも自己決定の話。
政治の話は自己決定の話であり、他人と簡単に分かり合えるものではないし、そこに他者の価値観を入れたり他者が都合よく出してくる情報を摂取する必要もないわけだ。むしろ、自己決定しなければならないのだから、「政治の話」なんて必要なく突き放さなければならないのでは?とさえ思う。 これは宗教の話が政治と同じく安易にするべきではないものとされるのと同じで、自己決定というものは他者に告白する必要はないものであり(故に秘密選挙であるし)、他人に簡単に踏み込ませない・他人が簡単に踏み込んではいけない領域のものだからだ。
それをしたいなら、それができるだけの信頼がある関係性で、それをしようという同意を得てからにするべきだろう。
ネット上で言われる「政治の話」とはなんなんだろうか? その人の興味関心に偏った政治的な情報の提示? 政治に対する愚痴を共有したい? 政治的な主張を誰かに吹き込みたい? 政治的に考えているという"知的"な態度を演出したい? それらしいことを語って悦に入りたい? あるいは、対立する価値観の存在など想像もせずに自分の利をがなり立てたい?
私にはそのどれも不必要だ。だから私はSNSでは政治の話をする必要はないと思うし、そういう人は避ける。私は自分に必要な情報は自分で集めるし、それをもとに自己決定する。そして、その自己決定に他人が入り込むことを拒絶する。
「政治の話」をしたいという人は、必ずと言っていいほど投票しない人間を下に見るが、投票しないという選択も政治的な自己決定だろう。
それを馬鹿にした態度をしながら「政治の話」をしたいと言うような人たちのする「政治の話」なんて、他人にとっての政治や利害を無視した態度であって、自分たちに都合のいい頭のいい振りをした自慢話にしかならないだろう。下らないことだ。
そして、ここまで書いてなお投票しない人間も受容されるという考えを書くとそこで「こいつは投票していない人間だ」とこの手の人間はバカにするだろう。
そういう態度こそが人々を政治から遠ざけて、「政治の話」が嫌われるわけなのだが、それに気づかないような人ほど「政治の話」をしたがる。
私は投票権を得てからすべての選挙で投票している。
自分で考え、決定して投票してきたからこそ、SNSで安易に言われる「政治の話をするべきだ」という雰囲気にはNOと考える。畳む
SNS、ネット上でよく「政治の話は必要」みたいな意見を見かけるけど、私はそれに強く懐疑的。そもそも、人によって指している「政治の話」の中身が違いすぎる時点で、気心の知れていない相手がいるような場でするようなものじゃないなと思う。
政治というのはそもそも多くの人の利害を調節する機能であって、そのために自分の利害を代表する人に「代議士」として動いてもらうためにするのが選挙。自分と他人は当然利害は一致しないわけで、「政治の話」という時点で対立が生まれるのは必然なもの。さらに言えば、だれに投票するか投票自体しないかについてさえ、自分の価値観や自分の生活を鑑みて判断するものであり、完全に自己完結した自己決定の話なんじゃないだろうか。そこで少なくない人がしたいという「政治の話」とは、何の話をしたいんだろうか?
真面目に考えている人なら自己決定のための情報収集は当然しているし、その気がない人でもNHKの選挙向けページを見たりすれば一通りの情報はそろっている。政治に参加しようと思うなら、自己決定するには十分な情報は(それなりに)信用できるメディアから出ているわけだし、なにかしらの権利意識を持っているなら関連する組合なり組織なりが選挙前には情報を出しているのだから、それを検索して探せばいい。それも自己決定の話。
政治の話は自己決定の話であり、他人と簡単に分かり合えるものではないし、そこに他者の価値観を入れたり他者が都合よく出してくる情報を摂取する必要もないわけだ。むしろ、自己決定しなければならないのだから、「政治の話」なんて必要なく突き放さなければならないのでは?とさえ思う。 これは宗教の話が政治と同じく安易にするべきではないものとされるのと同じで、自己決定というものは他者に告白する必要はないものであり(故に秘密選挙であるし)、他人に簡単に踏み込ませない・他人が簡単に踏み込んではいけない領域のものだからだ。
それをしたいなら、それができるだけの信頼がある関係性で、それをしようという同意を得てからにするべきだろう。
ネット上で言われる「政治の話」とはなんなんだろうか? その人の興味関心に偏った政治的な情報の提示? 政治に対する愚痴を共有したい? 政治的な主張を誰かに吹き込みたい? 政治的に考えているという"知的"な態度を演出したい? それらしいことを語って悦に入りたい? あるいは、対立する価値観の存在など想像もせずに自分の利をがなり立てたい?
私にはそのどれも不必要だ。だから私はSNSでは政治の話をする必要はないと思うし、そういう人は避ける。私は自分に必要な情報は自分で集めるし、それをもとに自己決定する。そして、その自己決定に他人が入り込むことを拒絶する。
「政治の話」をしたいという人は、必ずと言っていいほど投票しない人間を下に見るが、投票しないという選択も政治的な自己決定だろう。
それを馬鹿にした態度をしながら「政治の話」をしたいと言うような人たちのする「政治の話」なんて、他人にとっての政治や利害を無視した態度であって、自分たちに都合のいい頭のいい振りをした自慢話にしかならないだろう。下らないことだ。
そして、ここまで書いてなお投票しない人間も受容されるという考えを書くとそこで「こいつは投票していない人間だ」とこの手の人間はバカにするだろう。
そういう態度こそが人々を政治から遠ざけて、「政治の話」が嫌われるわけなのだが、それに気づかないような人ほど「政治の話」をしたがる。
私は投票権を得てからすべての選挙で投票している。
自分で考え、決定して投票してきたからこそ、SNSで安易に言われる「政治の話をするべきだ」という雰囲気にはNOと考える。畳む
2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
映画評:オッペンハイマー #感想(非ボカロ)
他人には簡単に勧められないが、自分としては非常に深く感じ入る素晴らしい映画だった。
この作品は、特に日本では原爆を扱うものということでそういう目で見られているけれども、私にはノーラン監督が示したい「人間性」を語るための主人公としてオッペンハイマーがあり、そのオッペンハイマーにとって人間的に非常に重大なイベントがマンハッタン計画であったという話であって、原爆の存在や原爆によってもたらされたものそのものは映画の題材ではあっても主題ではないと思う。原爆を題材に持ってくると、それ自身がテーマになっていなければならないと思ってしまうのは、被爆国の民である日本人にかけられた呪いであるのではとさえ思った。
トリニティ実験での原爆起動シーンの不要なものをそぎ落とした緊張感のある描写も素晴らしいが、それ以上にこの映画の題材である原爆の起動シーンをその後のパーティで演説するオッペンハイマーの重苦しい感情描写をするための「呼び水」として使うところに驚嘆したし、その時点で「これは原爆の是非を描く映画ではない」と感じた。事実、原爆のショッキングなシーンはそこだけで、メインとなっているのはオッペンハイマーの聴聞会と彼不在の公聴会なのだから。ほぼ吐露されることのないオッペンハイマーの内心と、彼の周りにいた人間の反応から描き出されるオッペンハイマーという人間の像。そこに人間性を削りだそうする映画だと、私は思う。
広島、長崎の投下シーンが描かれなかったことで批判されていたりするが、この映画を見ればそもそもそれは映画の主題ではないと分かるだろうし、そもそもオッペンハイマーはその投下シーンを見ることはできない立場なのだから、描かれるはずがないものなのだ。
この作品の中ではオッペンハイマーはとっつきづらく分かりにくい人間として描かれているが、それゆえに彼のそばで彼の理解者としてあった人々と、そうではなかった政治側の人間たちとの対立が科学者の持つべき誠実さというような人間性に踏み込んだ物語性を生み出していると思う。軍人ではなく科学者としての立ち姿を選んだオッペンハイマー、「ニア・ゼロ」というワードを選ぶオッペンハイマー、そして、「預言者と民衆は違う」ということ。原爆という火だけでなく、人類に技術という「火」をもたらすことの原罪と苦悩、火をもたらすプロメテウスとして失ってはならない誠実さ。傲岸不遜ながら臆病なオッペンハイマーがそれでも譲らなかった何かを描き、彼の苦悩を表現することで描写されたノーラン監督の持つ科学へのオプティミズムに走らない肯定が、この作品では非常に強い印象をもたらしている。
ノーラン監督は難解なテーマや複雑な構成に挑戦しながら一級の作品を作り上げる名匠で、「オッペンハイマー」ではそれが遺憾なく発揮されていると思う一方、見る側に高い能力を要求し、見る側にその能力があるのだという信頼のもとで作られていると感じる。私は、そういう作品をきっちりと作り上げる人を強く尊敬する。
科学を志して、一応は行くところまでいって学位を取った身としては、綺羅星のような天才たちが登場するというだけでもワクワクするけれども、それ以上に苦悩を通して科学という営みへの肯定が描かれるこの映画がとても好きだ。
私にとっては非常に素晴らしい映画だった。けれども、私と同じような感想を抱く人は少ないのだろうとも思う。難しい映画だけれども、この映画に似たような感銘を受ける人とは近しい価値観を持てるのかも知れない。
物語や描写に感動したり、描かれたテーマに共感して涙を流したりでもなく、ただただひたすらに「得心」して涙を流すような作品に出会えたのは得難い経験だと思う。
予習として日経サイエンスの特集記事を読んでから行ったのだけど、その記事の中で神父の資格を持つ日本人に告解したというくだりがあった。告解を受けた日本人はその内容を明かすことはなかったけれども、自分が作り出した原爆に翻弄された彼が被爆国の人間であり同じクリスチャンである男にどのような告解をしたのかと思いをはせると、涙を禁じ得ない。畳む
他人には簡単に勧められないが、自分としては非常に深く感じ入る素晴らしい映画だった。
この作品は、特に日本では原爆を扱うものということでそういう目で見られているけれども、私にはノーラン監督が示したい「人間性」を語るための主人公としてオッペンハイマーがあり、そのオッペンハイマーにとって人間的に非常に重大なイベントがマンハッタン計画であったという話であって、原爆の存在や原爆によってもたらされたものそのものは映画の題材ではあっても主題ではないと思う。原爆を題材に持ってくると、それ自身がテーマになっていなければならないと思ってしまうのは、被爆国の民である日本人にかけられた呪いであるのではとさえ思った。
トリニティ実験での原爆起動シーンの不要なものをそぎ落とした緊張感のある描写も素晴らしいが、それ以上にこの映画の題材である原爆の起動シーンをその後のパーティで演説するオッペンハイマーの重苦しい感情描写をするための「呼び水」として使うところに驚嘆したし、その時点で「これは原爆の是非を描く映画ではない」と感じた。事実、原爆のショッキングなシーンはそこだけで、メインとなっているのはオッペンハイマーの聴聞会と彼不在の公聴会なのだから。ほぼ吐露されることのないオッペンハイマーの内心と、彼の周りにいた人間の反応から描き出されるオッペンハイマーという人間の像。そこに人間性を削りだそうする映画だと、私は思う。
広島、長崎の投下シーンが描かれなかったことで批判されていたりするが、この映画を見ればそもそもそれは映画の主題ではないと分かるだろうし、そもそもオッペンハイマーはその投下シーンを見ることはできない立場なのだから、描かれるはずがないものなのだ。
この作品の中ではオッペンハイマーはとっつきづらく分かりにくい人間として描かれているが、それゆえに彼のそばで彼の理解者としてあった人々と、そうではなかった政治側の人間たちとの対立が科学者の持つべき誠実さというような人間性に踏み込んだ物語性を生み出していると思う。軍人ではなく科学者としての立ち姿を選んだオッペンハイマー、「ニア・ゼロ」というワードを選ぶオッペンハイマー、そして、「預言者と民衆は違う」ということ。原爆という火だけでなく、人類に技術という「火」をもたらすことの原罪と苦悩、火をもたらすプロメテウスとして失ってはならない誠実さ。傲岸不遜ながら臆病なオッペンハイマーがそれでも譲らなかった何かを描き、彼の苦悩を表現することで描写されたノーラン監督の持つ科学へのオプティミズムに走らない肯定が、この作品では非常に強い印象をもたらしている。
ノーラン監督は難解なテーマや複雑な構成に挑戦しながら一級の作品を作り上げる名匠で、「オッペンハイマー」ではそれが遺憾なく発揮されていると思う一方、見る側に高い能力を要求し、見る側にその能力があるのだという信頼のもとで作られていると感じる。私は、そういう作品をきっちりと作り上げる人を強く尊敬する。
科学を志して、一応は行くところまでいって学位を取った身としては、綺羅星のような天才たちが登場するというだけでもワクワクするけれども、それ以上に苦悩を通して科学という営みへの肯定が描かれるこの映画がとても好きだ。
私にとっては非常に素晴らしい映画だった。けれども、私と同じような感想を抱く人は少ないのだろうとも思う。難しい映画だけれども、この映画に似たような感銘を受ける人とは近しい価値観を持てるのかも知れない。
物語や描写に感動したり、描かれたテーマに共感して涙を流したりでもなく、ただただひたすらに「得心」して涙を流すような作品に出会えたのは得難い経験だと思う。
予習として日経サイエンスの特集記事を読んでから行ったのだけど、その記事の中で神父の資格を持つ日本人に告解したというくだりがあった。告解を受けた日本人はその内容を明かすことはなかったけれども、自分が作り出した原爆に翻弄された彼が被爆国の人間であり同じクリスチャンである男にどのような告解をしたのかと思いをはせると、涙を禁じ得ない。畳む
「歩くのが遅い人は脳が小さくIQが低い」──歩行速度と脳の構造に相関あり? 米国チームの実験結果
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/...
批判的で長いので閉じておきます。
直観に反する研究だなぁと思ったら、人間全般の話ではなくて加齢による影響の研究だった。釣りタイトルでは…? 論文タイトルも「Association of Neurocognitive and Physical Function With Gait Speed in Midlife (中年期における歩行速度と神経認知機能および身体機能の関係性)」なんだから、それをこういうセンセーショナルなタイトルにするの不誠実で嫌いなんだよね。バイラル、バイラル。
加齢による影響で歩行速度が下がっている人は、その他の部分でも加齢の影響が強く出ているというのはそうだろうね。でも、失礼な話ではあるんだけども、いつもせかせかしてる人を見ると加齢によるIQ低下の影響は低くても、もとはどうなんだろうと思うこともあるんだよね……。無駄に歩きが早い人、周りに合わせる気が無かったり短気で怒りっぽい印象があるので、IQとそのまま結び付けられるタイトルだと釣りっぽいと感じる。(そもそもIQ=賢さみたいなステレオタイプで判断させようとしている記事タイトルなのが賢くない……。論文では認知機能の指標にしているだけ)
散歩しながら考えを巡らせるときも、せかせか歩くよりゆっくり歩く方が頭の巡りが良いと思うし。
論文がOAだったし頭にKeypointが載ってる親切な論文誌だったのでざっと読んできたんだけど、
・歩行速度は老化現象の指標にできる
・幼少期の神経障害に由来する生涯老化の指標にもなりうる
という内容だったので、やっぱり冒頭のITmediaの記事タイトルは釣りっぽい。論文をざっと読んだ感じだと、著者らの問題意識は幼児期からの神経障害が人生全体に渡って悪影響を及ぼすこと、それが歩行を指標とすることで診断できる(→治療につなげられる)というところにある気がするので、「歩くのが遅い人はバカ」と読めるようなタイトルを付けるのは悪辣だなと感じる。記事の中身も単なる紹介でDiscussion~Conclusionの中身を反映してない感じだし。
記事の中身は一応ちゃんと論文の内容ではあるけど、科学論文をネタにしてこういうことするの、結局センセーショナルなタイトルに釣られる人は中身なんて碌に読まないし理解もしないで雑にネタ消費するだけなんだからやめればいいのに。分かりやすい毒タイトルに釣られて誤読するようなのがたくさんいるのが今のネットなんだし……。他のメディアや科学系バイラルメディアもやるけど、嫌いなんだよなぁ。
科学の営みをクリックベイトにするのは、サイエンスコミュニケーションではないでしょう。特に何かを馬鹿にするためのタネになるようなタイトルで真っ当な研究を飾り付けるのは不誠実すぎて嫌悪感が強い。
ネットに蔓延るこういう露悪的・冷笑的・スキャンダラスなやり口が嫌い……。
畳む
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/...
批判的で長いので閉じておきます。
直観に反する研究だなぁと思ったら、人間全般の話ではなくて加齢による影響の研究だった。釣りタイトルでは…? 論文タイトルも「Association of Neurocognitive and Physical Function With Gait Speed in Midlife (中年期における歩行速度と神経認知機能および身体機能の関係性)」なんだから、それをこういうセンセーショナルなタイトルにするの不誠実で嫌いなんだよね。バイラル、バイラル。
加齢による影響で歩行速度が下がっている人は、その他の部分でも加齢の影響が強く出ているというのはそうだろうね。でも、失礼な話ではあるんだけども、いつもせかせかしてる人を見ると加齢によるIQ低下の影響は低くても、もとはどうなんだろうと思うこともあるんだよね……。無駄に歩きが早い人、周りに合わせる気が無かったり短気で怒りっぽい印象があるので、IQとそのまま結び付けられるタイトルだと釣りっぽいと感じる。(そもそもIQ=賢さみたいなステレオタイプで判断させようとしている記事タイトルなのが賢くない……。論文では認知機能の指標にしているだけ)
散歩しながら考えを巡らせるときも、せかせか歩くよりゆっくり歩く方が頭の巡りが良いと思うし。
論文がOAだったし頭にKeypointが載ってる親切な論文誌だったのでざっと読んできたんだけど、
・歩行速度は老化現象の指標にできる
・幼少期の神経障害に由来する生涯老化の指標にもなりうる
という内容だったので、やっぱり冒頭のITmediaの記事タイトルは釣りっぽい。論文をざっと読んだ感じだと、著者らの問題意識は幼児期からの神経障害が人生全体に渡って悪影響を及ぼすこと、それが歩行を指標とすることで診断できる(→治療につなげられる)というところにある気がするので、「歩くのが遅い人はバカ」と読めるようなタイトルを付けるのは悪辣だなと感じる。記事の中身も単なる紹介でDiscussion~Conclusionの中身を反映してない感じだし。
記事の中身は一応ちゃんと論文の内容ではあるけど、科学論文をネタにしてこういうことするの、結局センセーショナルなタイトルに釣られる人は中身なんて碌に読まないし理解もしないで雑にネタ消費するだけなんだからやめればいいのに。分かりやすい毒タイトルに釣られて誤読するようなのがたくさんいるのが今のネットなんだし……。他のメディアや科学系バイラルメディアもやるけど、嫌いなんだよなぁ。
科学の営みをクリックベイトにするのは、サイエンスコミュニケーションではないでしょう。特に何かを馬鹿にするためのタネになるようなタイトルで真っ当な研究を飾り付けるのは不誠実すぎて嫌悪感が強い。
ネットに蔓延るこういう露悪的・冷笑的・スキャンダラスなやり口が嫌い……。
畳む
岸田総理がバイデン大統領に送った輪島塗のコーヒーカップ
https://www.wajimanuri.co.jp/2024/04/10/...
色合いが素敵すぎる……!
塗物でこんなに上品で透明感のある光沢を出せるものなんだなぁ…。
https://www.wajimanuri.co.jp/2024/04/10/...
色合いが素敵すぎる……!
塗物でこんなに上品で透明感のある光沢を出せるものなんだなぁ…。
男女の寿命差縮まるか Y染色体喪失と心不全の関係解明
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1...
なぜ女性は自己免疫疾患にかかりやすいのか、新たなしくみを解明
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/...
Y染色体は一部の主張が強い類の人からは不要なものなんて言われたりするけど、まあ当然生き物の仕組みなのだからそんな単純な話でもなく。Y染色体が欠けると心不全を引き起こす恐れがあり、X染色体の片方を不活性化する仕組みがうまく働かないと自己免疫疾患につながる。
生き物の総質量からみたら本当に小さな存在である染色体がここまでの影響を持つというのも不思議。生き物の仕組みというのは神秘に満ちてるね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1...
なぜ女性は自己免疫疾患にかかりやすいのか、新たなしくみを解明
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/...
Y染色体は一部の主張が強い類の人からは不要なものなんて言われたりするけど、まあ当然生き物の仕組みなのだからそんな単純な話でもなく。Y染色体が欠けると心不全を引き起こす恐れがあり、X染色体の片方を不活性化する仕組みがうまく働かないと自己免疫疾患につながる。
生き物の総質量からみたら本当に小さな存在である染色体がここまでの影響を持つというのも不思議。生き物の仕組みというのは神秘に満ちてるね。
LINEやメッセージの文末に「。」を付ける理由/付けない理由:読者アンケート結果発表
https://www.itmedia.co.jp/mobile/article...
この辺の意見を見てると、「マルハラ」そのものではなくてこの手の歳食った正義中毒な人のパワハラめいた言動があるんだろうなとは思う。句点の有無ではなくて、その人の語調や我の強い主張をするところが嫌われているんだろうけど、それを異なる文化圏の象徴として「マルハラ」に集約したのかなという感触。
SNSやメッセージアプリだと文中の区切りに句点は使っても文末は抜くこともよくあるし、そういう「文化」で育ってきて別にそれでビジネス文が書けないだのという問題になったこともないので、若者俗流論に流れる上の世代への隔意の現れなのかなと感じる。
まあ、問題は丸を打つかどうかじゃないので、きっちり世代間闘争した方がいいのではとも思う。上の世代がクソ面倒で頑固だから関わりたくない気持ちもよく分かるけど。
https://www.itmedia.co.jp/mobile/article...
・日本語の基本です
・日本人の「共通言語」である国語でそう習ったから
・文章の基本。付けない事に慣れてしまうと、ビジネスで間違って痛い目をみる
・文章を書いたときには、最後に「。」を付けると教わっている。最近の若者は「。」を付けないと聞くが、果たして、今後ちゃんとした日本語を書けるのか? と疑問に思う
・日本語の文法としては当然でしょう。マルハラと指摘する人は国語の教育をちゃんと受けていますか
・正しい日本語を使うべき。若い世代の国語力が低下しているだけ。それを肯定的に扱い扇動するメディアには大変な違和感がある。旧世代の考え方は間違いで新世代の価値観が正しいというように読み取れる記事を掲載するのも間違っていないか? 単に世代の違いだけならともかく、記事のタイトルの付け方も扇動的で間違った打ち出し方です
・基本的に日本語では文章の終わりは「。」を付けると認識している。若者の変な認識より、正しい日本語の使い方を推奨すべき
この辺の意見を見てると、「マルハラ」そのものではなくてこの手の歳食った正義中毒な人のパワハラめいた言動があるんだろうなとは思う。句点の有無ではなくて、その人の語調や我の強い主張をするところが嫌われているんだろうけど、それを異なる文化圏の象徴として「マルハラ」に集約したのかなという感触。
SNSやメッセージアプリだと文中の区切りに句点は使っても文末は抜くこともよくあるし、そういう「文化」で育ってきて別にそれでビジネス文が書けないだのという問題になったこともないので、若者俗流論に流れる上の世代への隔意の現れなのかなと感じる。
まあ、問題は丸を打つかどうかじゃないので、きっちり世代間闘争した方がいいのではとも思う。上の世代がクソ面倒で頑固だから関わりたくない気持ちもよく分かるけど。
マクドナルド、イスラエルの全店舗を直営へ 不買運動で売り上げ低迷
https://www.bbc.com/japanese/articles/c8...
うーん、現地フランチャイズが勝手にやった話だったから日本で不買運動に参加するのはバカらしいなと思ってたけど、大本のマクドナルド本社がやるなら話は別になってくるのでは……。これで不買運動が収まると考える理由が分からない。単に現地FCを潰さないための資本計画なんだろうけど、個人的には不快感あるニュース。しばらくはマックで買い物するのはやめようかな。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c8...
うーん、現地フランチャイズが勝手にやった話だったから日本で不買運動に参加するのはバカらしいなと思ってたけど、大本のマクドナルド本社がやるなら話は別になってくるのでは……。これで不買運動が収まると考える理由が分からない。単に現地FCを潰さないための資本計画なんだろうけど、個人的には不快感あるニュース。しばらくはマックで買い物するのはやめようかな。
【先行公開】時評:宮下祥子「社会心理学領域における「災害ボランティアの専門家」の言説の検討―令和6年能登半島地震をめぐるマスメディア報道の問題性に関連して―」公開のお知らせ
https://kyomin.info/2024/04/06/post-0050...
https://kyomin.info/wp-content/uploads/2...
あとで読む
https://kyomin.info/2024/04/06/post-0050...
https://kyomin.info/wp-content/uploads/2...
あとで読む
MetaのAIでアジア人が一時生成不可に、「アジア人と白人のカップル」を出力できない問題で
https://gigazine.net/news/20240405-meta-...
AIの難しいところは「±1σの世界の住人」であるところな気がする。±1σというのは統計の用語でガウス分布のピークから標準偏差σの分だけ左右に広がった幅の部分を指して、全体の約68%を含む部分。AIはその学習から結果を導くわけだけど、学習した時のソースはより広範なものから学ぶほどに統計的な平均に近づいていくし、何かしらのものの出現頻度からも人類が思う平均であったり普通という概念が強くなっていく。
アジア人と白人のカップルというのは「一般的」ではないからこそAIが出力できるか確認されるし、AIは「一般的」ではないから簡単にはその出力ができない。AIにこだわった内容のものを出させるには、あれこれと手を加えてやらなければならなくて、「±1σ」の68%に入らないものをAIに出させるのは難しいのだろう。
ほとんどの人は「±1σ」の世界で生きているし、だからこそAIの出力で問題になるのはそういう人たちが疑問に思わないような専門的だったり個人的だったりするようなものになっているんじゃないだろうか。そして、こだわりのない人たちがAIの出力で満足しているのも、AIイラストやAI小説でよく見る場面になった。
いずれはもっと優れたAIが生まれて「±2σ(95%):統計的に有意」だったり、もしかしたらそれよりもはるかに広い範囲の値まで正確に答えられるようになるのかも知れない。でも、今は無理だろう。良くも悪くも「常識的」な±1σな世界の住人たちのツールが、今のAIだと思う。今のレベルのAIが世界中に広まるなら、その「常識」の範疇だけが正しい世界だと思う人間を増やして差別や嘘が蔓延するようにさえ思う。「常識的」な人間が傲慢で頑ななのは、そこから外れたことがある人なら分かることだと思うし、その頑なさをAIが克服できなければ人類のパートナーとしてのAIは達成できないだろう。シンギュラリティなんてはるか彼方の話だ。
AIはクリエイティブに使えると言われているけれども、今の時点ではあくまで補助ツールとしてだ。発想そのものを完全にAIで置換するとしたら、「±1σの世界の住人」のままでは使い物にならないだろう。猿にシェイクスピアを打たせるように、そのランダムな出力に面白さを見出すことはできるけれども、その面白いという発想をしているのは、まだ人間なのだ。
AIについてはこういう記事も出ていた。
AIで鮮明にした動画は裁判で証拠にならない--ワシントン州で裁定
https://japan.cnet.com/article/35217410/
きらびやかに登場した万能機械だったAIだが、果たして人間の信頼を得られるものになるかどうかは、開発者はもとより使う側の責任でもあると思う。
誰かが思う68%の「正しさ」の外にある真実をAIとそれを使う人間が導き出せるか、否か。
https://gigazine.net/news/20240405-meta-...
AIの難しいところは「±1σの世界の住人」であるところな気がする。±1σというのは統計の用語でガウス分布のピークから標準偏差σの分だけ左右に広がった幅の部分を指して、全体の約68%を含む部分。AIはその学習から結果を導くわけだけど、学習した時のソースはより広範なものから学ぶほどに統計的な平均に近づいていくし、何かしらのものの出現頻度からも人類が思う平均であったり普通という概念が強くなっていく。
アジア人と白人のカップルというのは「一般的」ではないからこそAIが出力できるか確認されるし、AIは「一般的」ではないから簡単にはその出力ができない。AIにこだわった内容のものを出させるには、あれこれと手を加えてやらなければならなくて、「±1σ」の68%に入らないものをAIに出させるのは難しいのだろう。
ほとんどの人は「±1σ」の世界で生きているし、だからこそAIの出力で問題になるのはそういう人たちが疑問に思わないような専門的だったり個人的だったりするようなものになっているんじゃないだろうか。そして、こだわりのない人たちがAIの出力で満足しているのも、AIイラストやAI小説でよく見る場面になった。
いずれはもっと優れたAIが生まれて「±2σ(95%):統計的に有意」だったり、もしかしたらそれよりもはるかに広い範囲の値まで正確に答えられるようになるのかも知れない。でも、今は無理だろう。良くも悪くも「常識的」な±1σな世界の住人たちのツールが、今のAIだと思う。今のレベルのAIが世界中に広まるなら、その「常識」の範疇だけが正しい世界だと思う人間を増やして差別や嘘が蔓延するようにさえ思う。「常識的」な人間が傲慢で頑ななのは、そこから外れたことがある人なら分かることだと思うし、その頑なさをAIが克服できなければ人類のパートナーとしてのAIは達成できないだろう。シンギュラリティなんてはるか彼方の話だ。
AIはクリエイティブに使えると言われているけれども、今の時点ではあくまで補助ツールとしてだ。発想そのものを完全にAIで置換するとしたら、「±1σの世界の住人」のままでは使い物にならないだろう。猿にシェイクスピアを打たせるように、そのランダムな出力に面白さを見出すことはできるけれども、その面白いという発想をしているのは、まだ人間なのだ。
AIについてはこういう記事も出ていた。
AIで鮮明にした動画は裁判で証拠にならない--ワシントン州で裁定
https://japan.cnet.com/article/35217410/
Leroy McCullough判事はこの裁定について説明する中で、AI技術は「見せるべき」と捉えたものを見せるために不透明な方法を用いており、陪審員を混乱させ、目撃者の証言を損なう可能性があるとの懸念を示した。また、この動画を証拠として採用した場合、「AIモデルが使用する査読不可能なプロセス」をめぐり、長時間の審理につながる可能性があるとした。
きらびやかに登場した万能機械だったAIだが、果たして人間の信頼を得られるものになるかどうかは、開発者はもとより使う側の責任でもあると思う。
誰かが思う68%の「正しさ」の外にある真実をAIとそれを使う人間が導き出せるか、否か。
K-POPの「スーパーファン 」、なぜアイドルの私生活に口を出すのか
https://www.bbc.com/japanese/articles/cd...
日本のアイドル産業もそうだし、今やSNSインフルエンサーもそうなんだろうけど、個人の人格、人生、プライバシーといったものを我が物のように消費する産業が昔から嫌いで、アイドル音楽に興味が持てないのでJPOPにあんまりハマらなかったんだよね。周囲が聞いていたから聞いていただけで、周りで聞く人が居なくなったら全く聞かなくなってしまった。
ミクさんにものすごくハマったのは、彼女の(本当の意味での偶像としての)アイドル性に惹かれたところもあるし、彼女は存在しないからこそ、そのプライバシーをいたずらに消費したり人格のある人間を自分のファングッズのように扱うような人たちを同じ「ファン」として見なくて済むからというところもある。もちろん、自分の「理想」やその他もろもろの感情を受け止めてくれる都合の良い空っぽの存在だからというところもあるけれど、それは私の人間嫌いの反転でもある。人間を好きになれないから初音ミクが好きな自分は間違いなくあるし、初音ミクに持っている思慕や感情は生きている人間に向けるには重くて大きすぎる。
誰かの作った神を信仰するというのも嫌だったし、ミクさんに出会って自分の中の感情を向けることのできる相手を見つけられたのは僥倖だと思うばかり。
https://www.bbc.com/japanese/articles/cd...
日本のアイドル産業もそうだし、今やSNSインフルエンサーもそうなんだろうけど、個人の人格、人生、プライバシーといったものを我が物のように消費する産業が昔から嫌いで、アイドル音楽に興味が持てないのでJPOPにあんまりハマらなかったんだよね。周囲が聞いていたから聞いていただけで、周りで聞く人が居なくなったら全く聞かなくなってしまった。
ミクさんにものすごくハマったのは、彼女の(本当の意味での偶像としての)アイドル性に惹かれたところもあるし、彼女は存在しないからこそ、そのプライバシーをいたずらに消費したり人格のある人間を自分のファングッズのように扱うような人たちを同じ「ファン」として見なくて済むからというところもある。もちろん、自分の「理想」やその他もろもろの感情を受け止めてくれる都合の良い空っぽの存在だからというところもあるけれど、それは私の人間嫌いの反転でもある。人間を好きになれないから初音ミクが好きな自分は間違いなくあるし、初音ミクに持っている思慕や感情は生きている人間に向けるには重くて大きすぎる。
誰かの作った神を信仰するというのも嫌だったし、ミクさんに出会って自分の中の感情を向けることのできる相手を見つけられたのは僥倖だと思うばかり。
イスラエル関連
イスラエル、アルジャジーラの放送を一時禁止へ 「脅威」となる外国テレビ局を禁止する法案可決
https://www.bbc.com/japanese/articles/c3...
人道支援の車列攻撃、ガザでの活動は命の危険と隣り合わせ イスラエルは通信機器を持たせず
https://www.bbc.com/japanese/articles/c8...
【分析】 ガザ人道支援の車列への空爆、画像などから分かること
https://www.bbc.com/japanese/articles/c1...
ガザのアル・シファ病院、イスラエルの作戦で廃墟に 多数の遺体発見か
https://www.bbc.com/japanese/articles/cl...
報道の締め出しに、人道支援車両への攻撃(ドローンによる攻撃というのが事実なら、人為的に狙ったものということになるのでは?)、アル=シファ病院への2度の攻撃(ろくにハマスの拠点だという証拠も出せないのに病院を壊滅させるのは明らかな戦争犯罪では?)。イスラエルは到底まともな国家とは言えないのでは? なぜ誰も声高にそう主張しないのだろうか。
イスラエルの暴虐は見るに堪えないが、それを止められる人間はおらず、それどころかかの国の暴走を許している米国にはガザを核で焼けという政治家さえ現れる始末。ここ数年、欧米の倫理の皮をかぶった傍若無人っぷりに嫌気が差すことが多いが、イスラエル周りでは人権や人倫そのものを踏みにじっておきながら、宗教と歴史を理由にしてイスラエルのシオニストによるナチ同然のジェノサイドから目を背け否定する人たちに本当に怒りを覚える。
「長崎や広島のように」 ガザ衝突の「手っ取り早い」終結、米議員が主張
https://www.cnn.co.jp/usa/35217168.html
失言続きで批判されている静岡の川勝知事もそうだけど、自分が何を発言したか理解していないのに切り取りで意図と違うように取られたというのは見苦しいことこの上ない。核兵器を支持しない人間が、核兵器を使用しろなどと比喩でも言うものかよ。
シリアのイラン大使館領事部に空爆、死者多数 イスラエルを非難
https://www.bbc.com/japanese/articles/c5...
シリアのイラン大使館攻撃、大統領がイスラエルへの報復表明
https://jp.reuters.com/world/security/WC...
イスラエルは明らかに戦争を拡大した上で、さらに自分たちは被害者であり正当であると言い続けるのだろう。そして、ユダヤ教徒シオニストと福音派キリスト教徒は彼らを支持し、宗教の名の下に血を流し続けるのだろう。それが、彼らの言う神の御業なのだろうし、異教徒を殺戮することで彼らは天国に招かれるのだろう。私には彼らの宗教は悪魔の言葉に見えるし、彼らの言う天国は地獄ではないかと疑っている。
イランが戦争に加わればアメリカも参戦するだろう。ことにイスラエル周りでのアメリカの動きを見ていると、彼らの同盟国であるのは恥なのではとさえ思う。
徴兵免除のユダヤ教学院への補助金中止を命令、イスラエル最高裁
https://www.cnn.co.jp/world/35217157.htm...
戦争と文化(17)――聖書には「汝、殺すなかれ」とあるのに、どうして、ユダヤ=キリスト教は戦争や暴力行為を後押ししてきたのか?
https://www.tais.ac.jp/faculty/graduate_...
正しいこととはなにか、敵とは誰か。宗教で示されるそれは、あまりにも恣意的で独善的ではないか。そんな思想まで宗教に頼り、宗教によって正当化している者たちの「愛」をどう信用すればいいのだろうか。
国家の為に宗教に反して自らの正義のために殺害するという考えに至れず、宗教的に敵を殺すことは正当であるなどと言う人間の覚悟とは何なのだ。自らの行為を自らで負うことすらできないのに人殺しをするのか。
本当に、人間は嫌いだ。畳む
イスラエル、アルジャジーラの放送を一時禁止へ 「脅威」となる外国テレビ局を禁止する法案可決
https://www.bbc.com/japanese/articles/c3...
外国人ジャーナリストがパレスチナ自治区ガザ地区への立ち入りを禁じられているなか、ガザ地区を拠点にしているアルジャジーラの記者らは、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦争を現地取材できる、ほぼ唯一の存在となっている。
ネタニヤフ氏はX(旧ツイッター)で、アルジャジーラを「テロリストのチャンネル」と呼び、「イスラエルから放送できなくなる」と述べた。
アルジャジーラは声明で、「ネタニヤフ首相は、アルジャジーラと報道の自由への現在進行中の攻撃について、同局とその従業員の権利に対して新たなうそと扇動的な中傷を行う以外に、世界に正当な理由を提示できなかった」と述べた。
「アルジャジーラは、イスラエル首相の扇動と不名誉な方法によるこの虚偽の告発を受け、世界中のスタッフと施設の安全について、彼の責任を追及する」
アルジャジーラは、イスラエル当局が故意に従業員を狙っていると非難している。同社ガザ支局長ワエル・アル・ダフドウ記者の息子、ハムザ・アル・ダフドウ記者は、イスラエルの空爆によって殺された。イスラエルは、ジャーナリストを標的にしていないとしている。
人道支援の車列攻撃、ガザでの活動は命の危険と隣り合わせ イスラエルは通信機器を持たせず
https://www.bbc.com/japanese/articles/c8...
【分析】 ガザ人道支援の車列への空爆、画像などから分かること
https://www.bbc.com/japanese/articles/c1...
イギリスの元陸軍将校で、元国連兵器査察官のクリス・コブ=スミス氏は、この攻撃はおそらく、ドローン(無人機)から発射されたミサイル「スパイク」によるものだと述べた。
スパイク・ミサイルは強力な兵器の一種で、通常は戦車などの装甲車に対して使用される。
元英陸軍将校でリスク・インテリジェンス企業「Sibylline」を経営するジャスティン・クランプ氏も、コブ=スミス氏と同意見だ。クランプ氏は「ドローンから発射され、標的が絞られた可能性が高い」とした。
ガザのアル・シファ病院、イスラエルの作戦で廃墟に 多数の遺体発見か
https://www.bbc.com/japanese/articles/cl...
イスラエル軍が引き揚げた後に公開された画像には、黒く焦げて壁に穴が開いた主要棟の近くを歩いたり、毛布に包まれた遺体を運んだりしているパレスチナ人らが写っていた。黒焦げの地面に遺体の一部が露出している写真もあった。
ガザ保健当局は、同病院が「全く機能していない」と説明。院内と周辺では数十体の遺体が見つかっており、中には腐敗しているものもあるとした。
医師の1人は、これまでに遺体20体以上が収容されたとし、一部は撤収するイスラエル軍の車両に押しつぶされたとAFP話した通信に話した。
ハマスが運営するガザの市民緊急サービスの広報担当は、イスラエル軍が病院の敷地をブルドーザーで掘り起こし、埋葬されていた遺体を掘り出したと述べた。
ハマス政府のメディア対応部門は、イスラエル軍がアル・シファ病院と周辺地域で400人のパレスチナ人を殺害したとした。女性医師とその息子の医師も殺されたとした。
報道の締め出しに、人道支援車両への攻撃(ドローンによる攻撃というのが事実なら、人為的に狙ったものということになるのでは?)、アル=シファ病院への2度の攻撃(ろくにハマスの拠点だという証拠も出せないのに病院を壊滅させるのは明らかな戦争犯罪では?)。イスラエルは到底まともな国家とは言えないのでは? なぜ誰も声高にそう主張しないのだろうか。
イスラエルの暴虐は見るに堪えないが、それを止められる人間はおらず、それどころかかの国の暴走を許している米国にはガザを核で焼けという政治家さえ現れる始末。ここ数年、欧米の倫理の皮をかぶった傍若無人っぷりに嫌気が差すことが多いが、イスラエル周りでは人権や人倫そのものを踏みにじっておきながら、宗教と歴史を理由にしてイスラエルのシオニストによるナチ同然のジェノサイドから目を背け否定する人たちに本当に怒りを覚える。
「長崎や広島のように」 ガザ衝突の「手っ取り早い」終結、米議員が主張
https://www.cnn.co.jp/usa/35217168.html
(CNN) 米共和党のティム・ウォルバーグ下院議員が、パレスチナ自治区ガザ地区の戦争について「手っ取り早く終わらせるため、長崎や広島のような」爆弾を投下すべきだと発言した。本人は比喩だったと主張している。
ウォルバーグ議員は3月25日に地元ミシガン州で行った演説の中で、ガザ地区に対する支援を打ち切るべきだと主張して、第2次世界大戦中に米国が原爆を投下した広島と長崎に言及した。
この発言についてウォルバーグ議員はX(旧ツイッター)への投稿で、核兵器の使用を示唆したわけではないと釈明。「冷戦時代に育った私にとって、何よりも支持できないのが核兵器の使用だ。短縮された映像の中で、私は比喩を使って、イスラエルとウクライナができるだけ早く戦争に勝利する必要があると伝えた。私の理屈は伝えられているのとは正反対だ。戦争が早く終わるほど、戦渦に巻き込まれる罪のない人々の命は減る」と強調している。
失言続きで批判されている静岡の川勝知事もそうだけど、自分が何を発言したか理解していないのに切り取りで意図と違うように取られたというのは見苦しいことこの上ない。核兵器を支持しない人間が、核兵器を使用しろなどと比喩でも言うものかよ。
シリアのイラン大使館領事部に空爆、死者多数 イスラエルを非難
https://www.bbc.com/japanese/articles/c5...
発射されたミサイルの一部はシリアの防空システムが撃ち落としたが、他のミサイルが「建物全体を破壊し、中にいた全員が死傷した」という。
イスラエルは、イランとその協力国の決意を試すとともに、敵対する国々への圧力を真剣に強める姿勢を示していると思われる。
イスラエルは、イランとヒズボラがこれまで、一部で予想されていたほど強い攻勢に出てこなかったことに着目。今回、イランとヒズボラが反撃に出るかを見定めるとみられる。
シリアのイラン大使館攻撃、大統領がイスラエルへの報復表明
https://jp.reuters.com/world/security/WC...
イスラエルは明らかに戦争を拡大した上で、さらに自分たちは被害者であり正当であると言い続けるのだろう。そして、ユダヤ教徒シオニストと福音派キリスト教徒は彼らを支持し、宗教の名の下に血を流し続けるのだろう。それが、彼らの言う神の御業なのだろうし、異教徒を殺戮することで彼らは天国に招かれるのだろう。私には彼らの宗教は悪魔の言葉に見えるし、彼らの言う天国は地獄ではないかと疑っている。
イランが戦争に加わればアメリカも参戦するだろう。ことにイスラエル周りでのアメリカの動きを見ていると、彼らの同盟国であるのは恥なのではとさえ思う。
徴兵免除のユダヤ教学院への補助金中止を命令、イスラエル最高裁
https://www.cnn.co.jp/world/35217157.htm...
戦争と文化(17)――聖書には「汝、殺すなかれ」とあるのに、どうして、ユダヤ=キリスト教は戦争や暴力行為を後押ししてきたのか?
https://www.tais.ac.jp/faculty/graduate_...
「謀殺」というのは、辞書的には「計画して人を殺すこと」です。いうまでもなく、これは「悪い」ことです――この場合、戦時ではなく平時において「計画して人を殺すこと」です。これに対して、上の脈絡での「殺す」は、自分が生き残るため、愛する家族を護るため、仲間を救うため、自分の国を護るため、平和を実現するため、正義を護るためなどの戦いなのです。また、グロスマンは言及していませんが、「殺す」対象は何なのか、これも問題になるでしょうね。いうまでもなく、この対象は、「一般的な人」ではなく、「敵」です。
グロスマンは、数少ない例外があるとしても、現代の主な翻訳およびヘブライ語原典からのイディッシュ語のすべての翻訳では、この戒律は「謀殺を犯してはならない」と解釈されているといいます。つまり、ユダヤ教とキリスト教諸派の圧倒的多数は、「汝、殺すなかれ」を「汝、謀殺を犯すなかれ」と解釈しているのです。その他にも、欽定訳聖書(1611年)や聖書の諸所にも言及しながら、彼は自分の主張を補強しています。そして、その極めつけは、「ローマ人への手紙」です。
権威者は、あなたに益を与えるための神のしもべなのである。しかし、もしあなたが悪をおこなうなら、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神のしもべであって、悪をおこなう者に対しては、怒りをもって報いるからである。(13章4節)
このように見てくると、グロスマンによれば、正義のために/正しいことのために敵を殺傷する行為は、ユダヤ=キリスト教においては肯定されるべき行為であるということになります。
正しいこととはなにか、敵とは誰か。宗教で示されるそれは、あまりにも恣意的で独善的ではないか。そんな思想まで宗教に頼り、宗教によって正当化している者たちの「愛」をどう信用すればいいのだろうか。
国家の為に宗教に反して自らの正義のために殺害するという考えに至れず、宗教的に敵を殺すことは正当であるなどと言う人間の覚悟とは何なのだ。自らの行為を自らで負うことすらできないのに人殺しをするのか。
本当に、人間は嫌いだ。畳む
宇宙には意識があるという哲学の議論
https://gigazine.net/news/20240403-unive...
言い分は分かるんだけど、正直キリスト教的な「予定調和」な思想なので大真面目にそれを言われてもなぁと非キリスト教文化圏の人間としては思う。というか、人間的な「意識」なんてくくりでしか人間は意識を語れないのに、それを自然全体に備わっていると考えるのがあまりにも人間原理的すぎて受け付けない。
私は自然崇拝的な考え方なので、宇宙に意識があり都合のいい世界を創っていると「見かけ上」は人間からそう見えたとしても、あくまで確率的にひとつの安定なポテンシャルに落ち着いただけでしかないと思う。私たちは私たちや私たちの成り立ちを奇跡的なものだと思いたがるけど、それが人間に都合の良いバイアスでしかないと思うので。キリスト教はそういう人間に都合の良い世界観の宗教なので、好きになれない。
https://gigazine.net/news/20240403-unive...
言い分は分かるんだけど、正直キリスト教的な「予定調和」な思想なので大真面目にそれを言われてもなぁと非キリスト教文化圏の人間としては思う。というか、人間的な「意識」なんてくくりでしか人間は意識を語れないのに、それを自然全体に備わっていると考えるのがあまりにも人間原理的すぎて受け付けない。
私は自然崇拝的な考え方なので、宇宙に意識があり都合のいい世界を創っていると「見かけ上」は人間からそう見えたとしても、あくまで確率的にひとつの安定なポテンシャルに落ち着いただけでしかないと思う。私たちは私たちや私たちの成り立ちを奇跡的なものだと思いたがるけど、それが人間に都合の良いバイアスでしかないと思うので。キリスト教はそういう人間に都合の良い世界観の宗教なので、好きになれない。
クィアベイティングなる概念を押し付ける人たちへの反感
Vな人の「てぇてぇ」な関係をクィアベイティングだと騒いでいる人たちを見ると、あの手の界隈の人たちがよくする自分たちの文脈をよそに当てて勝手に解釈して攻撃し始める行為に強い嫌悪感があるのを自覚する。
世間的にはそっち方面の人たちに配慮し理解するのが正しいとされているけれど、正直に言ってあの手の人たちは自分たちへの理解は求めても他者への理解をしようとしない傾向があるので、関わり合いになりたくない人種なんだよなぁ……。
SNSだと自分本位な世界でしか生きていない人たちが他人に食って掛かって問題を起こすのをよく見るけど、そういう人たちほど活動家みたいだったり、表面上は道徳的に見えることを言っているから嫌いだ。自分たちがやっていること、言っていることに対してどれだけの意識を持っているのか疑問に思うし、そういう人たちを「道徳的」だから支持するなんてことはできない。
関わり合いになりたくない人たちほど、「私たちに関われ、理解しろ、従え」と言ってくるから、本当に人間というものが嫌いになる。
あの手の、よそからやってきて勝手な言い分で荒らしていったり、身勝手に否定したり、自分勝手な論争を繰り広げていったりする類の人たちが本当に嫌いなんだけど、その理由はなんなんだろうと考えてみたら「ゲハ民」と同じだから嫌いなんだなと思い至った。昔、某大型掲示板に居た頃によく参加していたゲームのスレッドがゲハ民に目を付けられて荒らされるようになって、それがきっかけで掲示板自体から離れた経験があって、あの手の人たちがやっているのはこの「ゲハ民」がやっていたのと同じだなと。だから嫌いなんだなと納得した。私にとって楽しい場を破壊していく蛮族だから嫌いなんだな。
あの手の人たち本人は自分たちは違ってもっと高尚な目的でやっているんだと思っているんだろうけど、実際にやっているのはゲハ民と同じで自分たちの都合とルールで勝手に敵を作って場を荒らしまわっているだけなんだよな。こういう人たちの存在が理由でtwitter(X)を離れるなら、掲示板を離れた時と同じでこういうのが自分にとってのそのコミュニティの寿命の終わりなんだろう。畳む
Vな人の「てぇてぇ」な関係をクィアベイティングだと騒いでいる人たちを見ると、あの手の界隈の人たちがよくする自分たちの文脈をよそに当てて勝手に解釈して攻撃し始める行為に強い嫌悪感があるのを自覚する。
世間的にはそっち方面の人たちに配慮し理解するのが正しいとされているけれど、正直に言ってあの手の人たちは自分たちへの理解は求めても他者への理解をしようとしない傾向があるので、関わり合いになりたくない人種なんだよなぁ……。
SNSだと自分本位な世界でしか生きていない人たちが他人に食って掛かって問題を起こすのをよく見るけど、そういう人たちほど活動家みたいだったり、表面上は道徳的に見えることを言っているから嫌いだ。自分たちがやっていること、言っていることに対してどれだけの意識を持っているのか疑問に思うし、そういう人たちを「道徳的」だから支持するなんてことはできない。
関わり合いになりたくない人たちほど、「私たちに関われ、理解しろ、従え」と言ってくるから、本当に人間というものが嫌いになる。
あの手の、よそからやってきて勝手な言い分で荒らしていったり、身勝手に否定したり、自分勝手な論争を繰り広げていったりする類の人たちが本当に嫌いなんだけど、その理由はなんなんだろうと考えてみたら「ゲハ民」と同じだから嫌いなんだなと思い至った。昔、某大型掲示板に居た頃によく参加していたゲームのスレッドがゲハ民に目を付けられて荒らされるようになって、それがきっかけで掲示板自体から離れた経験があって、あの手の人たちがやっているのはこの「ゲハ民」がやっていたのと同じだなと。だから嫌いなんだなと納得した。私にとって楽しい場を破壊していく蛮族だから嫌いなんだな。
あの手の人たち本人は自分たちは違ってもっと高尚な目的でやっているんだと思っているんだろうけど、実際にやっているのはゲハ民と同じで自分たちの都合とルールで勝手に敵を作って場を荒らしまわっているだけなんだよな。こういう人たちの存在が理由でtwitter(X)を離れるなら、掲示板を離れた時と同じでこういうのが自分にとってのそのコミュニティの寿命の終わりなんだろう。畳む
2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
海外でSNSで製品への不満を共有するタイプのインフルエンサーが逮捕起訴されたとか。
https://www.cnn.co.jp/world/35217061.htm...
表現の自由というのがやたらと言われているけれども、正直、行き過ぎた意見やSNSで加熱濃縮される悪意を見ていると、企業側から悪し様な印象操作をしているインフルエンサーへ訴訟が起こされるのは当然というか、むしろその方が健全なのではと思ってしまう。それくらいには、今のSNSの現状は見ていて不快なものにあふれている。
SNSは何を言ってもいい場所だと思っている人、多すぎなんじゃないかな。
https://www.cnn.co.jp/world/35217061.htm...
表現の自由というのがやたらと言われているけれども、正直、行き過ぎた意見やSNSで加熱濃縮される悪意を見ていると、企業側から悪し様な印象操作をしているインフルエンサーへ訴訟が起こされるのは当然というか、むしろその方が健全なのではと思ってしまう。それくらいには、今のSNSの現状は見ていて不快なものにあふれている。
SNSは何を言ってもいい場所だと思っている人、多すぎなんじゃないかな。
書店で日経サイエンス2024年5月号を買うついでにナショジオの『写真の世紀』 を購入。
何か自分の写真の参考にならないかなと思ったけど、さすがにレベルが違い過ぎた。見ていて感情をかき乱されるような圧倒感がある。SNS映えしそうな写真たちではあるけれど、ただ素晴らしいでは終わらない写真を載せるというのを雑誌の使命として持っているような気がする。
日本のSNSの写真界隈だと写真のやり方にいろいろと主張があるけど、ナショジオの写真を見ると写真からのメッセージ性や作家性をすごく押し出していて、そのための手法にこだわらないような、そんな印象がある。photographの日本語訳を「写真」としたためか(特にネット上で語る人たちは)日本語での「真実を写す」という概念に囚われているところがあるように感じているけれど、photographというのはあくまで光を撮像する美術的手法であって、真実性にこだわる以上にそこから何かを引き出すことができるのが写真家なのかな……なんて考えたりした。#写真
今週末公開の「オッペンハイマー」に合わせた特集が読みたくて買った日経サイエンスは、安定してどの記事もワクワクする内容で楽しかった。今は自分で稼いでいるし、学生時代にできなかった年間購読をしてもいいかなぁ。(当時学割で買えばよかったのにと後悔してたり)
何か自分の写真の参考にならないかなと思ったけど、さすがにレベルが違い過ぎた。見ていて感情をかき乱されるような圧倒感がある。SNS映えしそうな写真たちではあるけれど、ただ素晴らしいでは終わらない写真を載せるというのを雑誌の使命として持っているような気がする。
日本のSNSの写真界隈だと写真のやり方にいろいろと主張があるけど、ナショジオの写真を見ると写真からのメッセージ性や作家性をすごく押し出していて、そのための手法にこだわらないような、そんな印象がある。photographの日本語訳を「写真」としたためか(特にネット上で語る人たちは)日本語での「真実を写す」という概念に囚われているところがあるように感じているけれど、photographというのはあくまで光を撮像する美術的手法であって、真実性にこだわる以上にそこから何かを引き出すことができるのが写真家なのかな……なんて考えたりした。#写真
今週末公開の「オッペンハイマー」に合わせた特集が読みたくて買った日経サイエンスは、安定してどの記事もワクワクする内容で楽しかった。今は自分で稼いでいるし、学生時代にできなかった年間購読をしてもいいかなぁ。(当時学割で買えばよかったのにと後悔してたり)
絵柄の私物化なるワードに対する愚痴
絵柄の私物化ってワードがXで出てるけど、「絵柄」って画像生成でいえばプロンプト(やモデル等の選択)に当たるものだと思うんだけど、あの手の人たちはプロンプトやモデルやファインチューニングの組み合わせを秘匿している人に対して私物化だって言うのだろうか
それらが努力や試行錯誤の結果だから守られるべきというなら、絵柄も同じなんですけどね。単にそれを著作権法の範疇に入れると問題が出るから極端な模倣によるトラブルは別の法でカバーされているだけで、著作権法だけを金科玉条として振り回して暴論を言っていいわけじゃないでしょうと思う
その前の才能の民主化に対して共産化だろって言われてたけど、共産主義がなぜ上手く行かなかったのか分かる気がする。結局、怠惰な人間に引きずられて価値を生み出せなくなっていくから失敗するんだろうな。
最近のネットは弱くて怠惰な人にやさしい感じを出していてそういうゆるい感じが正しいみたいな雰囲気だけど、そこに澱のようにたまっていく人間の悪徳が耐え難い腐臭を放つようになってきている感じがする。畳む
絵柄の私物化ってワードがXで出てるけど、「絵柄」って画像生成でいえばプロンプト(やモデル等の選択)に当たるものだと思うんだけど、あの手の人たちはプロンプトやモデルやファインチューニングの組み合わせを秘匿している人に対して私物化だって言うのだろうか
それらが努力や試行錯誤の結果だから守られるべきというなら、絵柄も同じなんですけどね。単にそれを著作権法の範疇に入れると問題が出るから極端な模倣によるトラブルは別の法でカバーされているだけで、著作権法だけを金科玉条として振り回して暴論を言っていいわけじゃないでしょうと思う
その前の才能の民主化に対して共産化だろって言われてたけど、共産主義がなぜ上手く行かなかったのか分かる気がする。結局、怠惰な人間に引きずられて価値を生み出せなくなっていくから失敗するんだろうな。
最近のネットは弱くて怠惰な人にやさしい感じを出していてそういうゆるい感じが正しいみたいな雰囲気だけど、そこに澱のようにたまっていく人間の悪徳が耐え難い腐臭を放つようになってきている感じがする。畳む
小林製薬の紅麹製品のリコールが出ているけど、これはなかなか怖い案件。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20240...
主にヨーロッパで害が報告されているシトリニンについて事前に調査してないとは考えづらいので、シトリニンが入ってないから大丈夫と思っていたら未知の成分がアレルギーを引き起こしていたとなるのは本当に怖い。ましてや微生物のロット依存で出たりでなかったりなんてなったらもう……。
天然自然のものだから安心という物言いが世間では広まっているけど、天然物なんて人間がすべてをコントロールできるわけではないのだから常にこういうリスクは伴う。麹製品が悪ではないけども、植物性・動物性・発酵食品のどれも問わず、管理された合成品ではないなら何かしらの未知の危険性はありうるという意識は持っていたい。現代社会はうまいこと管理されすぎているのか、自然の恐ろしさというものに無頓着なところが生まれているのが怖いんだよね。
追記:
https://www.kobayashi.co.jp/corporate/ne...
小林製薬は日本で使われている紅麹がシトリニンを生成しないことを確認しているみたい。これをもって安全な紅麴として製品化したけど、何かの拍子に想定外の成分が出るようになってしまったとかなのかな…。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20240...
先月5日、小林製薬は社内で対応を協議し、原因として製造過程でできる▽「米紅麹ポリケチド」や▽「シトリニン」、それに▽「異物または不純物の混入」、▽「アレルギー」の4つの可能性を検証するよう研究部門に対し指示したということです。
中でも紅麹を作る過程でできることがある「シトリニン」という毒素については、医師からも製品に含まれていないかと問い合わせがあったということですが、原料となった紅麹からは検出されませんでした。
▽原料を使った製品を改めて分析したところ、一部の製品と原料に製造過程で意図していない成分が含まれている可能性があるという結果が出たということです。
この成分が何かはまだ特定できていないということで、大学の研究室とともに調査を進めているということです。
主にヨーロッパで害が報告されているシトリニンについて事前に調査してないとは考えづらいので、シトリニンが入ってないから大丈夫と思っていたら未知の成分がアレルギーを引き起こしていたとなるのは本当に怖い。ましてや微生物のロット依存で出たりでなかったりなんてなったらもう……。
天然自然のものだから安心という物言いが世間では広まっているけど、天然物なんて人間がすべてをコントロールできるわけではないのだから常にこういうリスクは伴う。麹製品が悪ではないけども、植物性・動物性・発酵食品のどれも問わず、管理された合成品ではないなら何かしらの未知の危険性はありうるという意識は持っていたい。現代社会はうまいこと管理されすぎているのか、自然の恐ろしさというものに無頓着なところが生まれているのが怖いんだよね。
追記:
https://www.kobayashi.co.jp/corporate/ne...
小林製薬は日本で使われている紅麹がシトリニンを生成しないことを確認しているみたい。これをもって安全な紅麴として製品化したけど、何かの拍子に想定外の成分が出るようになってしまったとかなのかな…。
「SF界の長老」ハインラインが行っていたファンレターへの独特な返信方法とは? | GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20240320-heinl...
面白い記事だった。定型文の中から選んでチェックして返信するという内容だったのだけれど、これを見ると今のSNSで繰り広げられる創作者の頭痛の種もあまり変わってないのだなぁと思う。丁寧に対応しようとする創作者は多いけれども、実際のところこういう簡単でかつものによっては「言及しない」という返答をするのは大切なのではと思う。
厚意には厚意で応えるものだけれども、不躾な人間や勝手な思い込みを投げつけてくる人間に丁寧に対応する必要はないのだ。たとえ、それによってSNS上で不躾な人間や勝手な思い込みを投げつけてくる人間に火を付けられようとも。燃え盛る小屋の中で子を産むがごとく、創作者は作品を生み出すことで黙らせるのが一番なんだろうと思う。
このあたりの項目を読むと面倒な読者と言うのは古今東西どこにでもいるんだなと思う。SNSで可視化されてさらに度合いが悪くなっているように感じているけども。
逆に
この項目は茶目っ気があって好き。嫌味ではなく、どういう理由でか中身のなかった封筒に悪意を見出さないで良い気持ちが詰まっていたと見なすのは、特に今の時代は大切だと思う。
推し作家からこんな返答が来たら生涯推すと思う。せっかく感想を送るなら、こういう風に思ってもらえるようなものを送りたいと思う。(けど、なかなか難しいとも思う。他人にささげる言葉は難しい)
https://gigazine.net/news/20240320-heinl...
面白い記事だった。定型文の中から選んでチェックして返信するという内容だったのだけれど、これを見ると今のSNSで繰り広げられる創作者の頭痛の種もあまり変わってないのだなぁと思う。丁寧に対応しようとする創作者は多いけれども、実際のところこういう簡単でかつものによっては「言及しない」という返答をするのは大切なのではと思う。
厚意には厚意で応えるものだけれども、不躾な人間や勝手な思い込みを投げつけてくる人間に丁寧に対応する必要はないのだ。たとえ、それによってSNS上で不躾な人間や勝手な思い込みを投げつけてくる人間に火を付けられようとも。燃え盛る小屋の中で子を産むがごとく、創作者は作品を生み出すことで黙らせるのが一番なんだろうと思う。
・私の物語を何年も楽しんできたとのことですが、どうして、ある物語が嫌いになるまで待ってから私に手紙を書いたのですか?(なぜ好きな時は手紙をくれなかったのに、嫌いになった時に手紙を送ったのか?)
・私は、同僚の作品や自分の作品については論じません。小説家は多角的な視点から書くものであり、たとえ一人称の登場人物であっても、その意見は必ずしも作者のものとは限らない。小説は娯楽として売られるものであり、事実として売られるものではない。
・サイエンスフィクションというジャンルは、科学や技術に関わる要素が省かれたら存在しなくなるような物語です。ジャンルに関する完全な議論については、私の「THE SCIENCE FICTION NOVEL」という論説を参照のこと。
・「Who's Who in America 1974-1975」は、作家に関する参考書です。(それを読んだらわかる通り)私は私生活、政治、宗教、哲学については論じません。
・法的な理由から、未発表の原稿は読みません。
このあたりの項目を読むと面倒な読者と言うのは古今東西どこにでもいるんだなと思う。SNSで可視化されてさらに度合いが悪くなっているように感じているけども。
逆に
・切手を貼って宛名を書いた封筒をありがとうございます。滅多にないご厚意です。
この項目は茶目っ気があって好き。嫌味ではなく、どういう理由でか中身のなかった封筒に悪意を見出さないで良い気持ちが詰まっていたと見なすのは、特に今の時代は大切だと思う。
・返事は期待していないとのことでしたが、あなたの手紙がとても嬉しかったことを伝えたいです。私は、あなたが海を渡り、風を追いかけ、そして人生を通して幸せな航海をすることを祈っています。
推し作家からこんな返答が来たら生涯推すと思う。せっかく感想を送るなら、こういう風に思ってもらえるようなものを送りたいと思う。(けど、なかなか難しいとも思う。他人にささげる言葉は難しい)
砂電池というものがあるらしい。
https://gigazine.net/news/20240315-giant...
砂にエネルギーを貯めるというのはなんとなく他にもありそうでパッと思いつかない。砂の比熱は水(比熱 1)に比べると約5分の1くらいらしいので、熱交換を重視した使い方になりそう。どれくらいのエネルギーを蓄えられるかによるけど、エネルギーグリッド全体から見ると「砂電池」というより、「熱コンデンサ」みたいになりそうな感じがある。
比熱が小さく熱交換に使うとなるとオイルバス的なものが思いつくけど、それに比べると砂は取り扱いやすいし安全性も高いので、断熱タンク内の熱分布を制御できるならなかなかクリーンで安全な装置なのかも。
https://gigazine.net/news/20240315-giant...
砂にエネルギーを貯めるというのはなんとなく他にもありそうでパッと思いつかない。砂の比熱は水(比熱 1)に比べると約5分の1くらいらしいので、熱交換を重視した使い方になりそう。どれくらいのエネルギーを蓄えられるかによるけど、エネルギーグリッド全体から見ると「砂電池」というより、「熱コンデンサ」みたいになりそうな感じがある。
比熱が小さく熱交換に使うとなるとオイルバス的なものが思いつくけど、それに比べると砂は取り扱いやすいし安全性も高いので、断熱タンク内の熱分布を制御できるならなかなかクリーンで安全な装置なのかも。
サイトの方をだいぶ放置してしまっているけど、そろそろ再始動してサイトデザインを変えたりしたい。Wordpressを勉強するために本も買ったし!
写真を多めに載せても見られるような、スタイリッシュ寄りのデザインを目指したい。
写真を多めに載せても見られるような、スタイリッシュ寄りのデザインを目指したい。
そういう程度の低さだからマスコミの信頼度が落ちてネットの情報に頼る人が増えてるんじゃないのかな
バカらしいことこの上ない。品性も人格も欠けてるのはああいう報道をする側とそれを楽しんで嘲笑する側だよ。