NI.Aの雑記

先頭固定

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Misskey.io : @ni_artificial
Bluesky:NI.A (にーあ) @bsky

こちらには雑記であったり、SNSには書きづらいことを書いたりしています。
感情的なものや「これが好きじゃない」ということを書くことも多いので、それを承知の上で読んでください。

私の主張に対して反感・反発・反論があったとしても、私がそれに応えるつもりも意見を変えるつもりもありませんのでコンタクトは不要です。意見がある場合は、ご自分の領分でなさってください。

Info

2024年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

石破さんの箸の持ち方が~おにぎりの食べ方が~ってやってるの、この国のマスコミの程度は漢字テストをやってた頃から変わってないんだな
そういう程度の低さだからマスコミの信頼度が落ちてネットの情報に頼る人が増えてるんじゃないのかな
バカらしいことこの上ない。品性も人格も欠けてるのはああいう報道をする側とそれを楽しんで嘲笑する側だよ。

日記

右翼左翼の話

 ネトウヨは若いころに罹患しておくべき麻疹みたいなことを言われるが、まあ、頭の悪い話である。そもそもがネトウヨというワード自体が中身のない気に入らない相手に雑に貼り付ける思考停止レッテルワードでしかなく、中身が右翼思想を指すにしても、これを言っている人間が単に若いころに右翼思想強めな場所に居たという経験論でしかない。
 そういう言葉を思慮なく発する人間の言葉について考えるのは無駄でしかないが、個人的に思うところでは、右の思想も左の思想も通って中庸に自分の立ち位置に応じた政治的姿勢を持ち、他者もそうであるから利害のすり合わせをする必要があるのだという考えに至るのが健常な政治的考え方だと思う。右翼思想に偏るのが中二病であるなら、その後に反動で左翼に行って冷笑主義になるのは高二病なのだ。そして、初めに左翼思想に罹患したなら、それは逆になる。
 高齢になってから思想にかぶれるのは、そこまでそういう思想を持たずに生きてこられた人々なのだろうし、言ってしまえば「初心者」なのだから生暖かい目で見ればいいと思う。親がこういう思想にかぶれたから嫌というのは、そういう話に巻き込まれることへの同情はするが、自分自身の思想の在り方を相対的に見る機会にしたらどうかと思うようなことも多い。真っ当な見識の持ち主であれば、ある思想に傾倒しても疑問点を持ち始めるものだし、そうやってやがて中庸へと至るものだと思う。

 今は中二病という言葉しかほとんど生きていないが、かつては高二病という知識人ぶりをする冷笑主義へのレッテルがあり、そして、大二病という「やっぱり中二病的なものもいいよね」という中庸へのリバランスをする考え方があったのだ。その中でも他人を冷笑できる中二病という言葉だけが使われ続け、実際、思想としてもネットにあるのは中二病とそれを冷笑するだけの高二病的なものばかりになってしまっていると思う。『大二病』的なところに至って視野が広がった人は政治的な話をしないか、リアルでの活動に移っていったのだろうと思う。ネットに残っているのはマウント合戦と罵り合い、自分が正しいと言い続けることしかない児戯ばかりじゃないだろうか。

 思想に偏ったまま党派性のぬるま湯の中に居場所や自己肯定感を見出してそういう児戯にふける人もいて、そういう人は救えないのだと思う。右だろうが左だろうが、市井の人間が自分の生活の座を離れた思想を持つことに意味はないと思う。単なる趣味の領域だ。なのに、その思想そのものではなく思想につながる価値に縛られた党派性で人生を括ってしまう人は不幸に見える。
 そして、インターネットには右にも左にも、あらゆる思想を開陳する人々にそんな不幸な人々ばかりがいるように感じる。かつては知を集約する場所としての姿も望まれたインターネットだが、今のインターネットにそういう理想を見ることはできなくなった。ネットはリアルの底に流れる地獄を覗く場所になってしまった。畳む

政治の話

 このところ日米の選挙に兵庫県知事選挙とあって、SNSでは毎度のように眉を顰める意見が飛び交っているわけだが、最近は「リベラルの敗北」というワードが存在感を増している気がする。
 そもそもからして、リベラル自称する類の人々には自分たちの思想と理想しかなく、その信条や政治的意見を自分たちとは異なる意見を持つ人間を見下し馬鹿にすることで精神的勝利を収めるための方法論としてしか用いないから嫌われているのだと思っているので、リベラルの敗北なんて今更すぎる話だと思う。
 そういう「知的怠惰」が蔓延っているのは特にSNS上や白亜の塔であるように思う。そして、それがなぜ蔓延るかと言えば、それらがすべて実際に生きている人々や地に足を付けて生活している人々を見ずにコタツに入って仕立てたかカウチに座って夢想した内容でしかないからだと思う。地に足の着いた意見ではないものを、「正しい」「倫理的である」などとして押し付けてきたら、それを自分たちの生活の為に生きている人々が受け入れるはずがない。

 リベラル思想のうち、民衆に受け入れられやすいような部分はすでに社会に膾炙されており、残されているのは人々にとって受け入れがたい、あるいは自分たちの生活と相容れない部分か、興味もなく生活にも関わらないのに押し付けられているものになってきているのではないだろうか。なのに、リベラル側の人々は普通に生きる人々が何をどう考え、思い、どういう価値観を持っているかを軽視しつづけ、自分たちのみが啓蒙するべき思想の持ち主であると驕ってきた結果が今の有様だろう。

 自分たちの思想や立地点を離れ、社会の実情を見て自己批判をするしかリベラルという立場が復権する道はないと思うが、驕り高ぶり自分たちこそが賢く正しいという思想にまで至ってしまった今の左翼リベラル知識人やそれにかぶれた知識人気取りたちに、そのようなことができるとは、私には思えない。畳む

日記

日本って本当に性差別的な国だなって

男性専用車両を運航しようとしたところ、理由も告げられずに阪堺電車側から反故にされたそうで。
https://x.com/jwmc_or_jp/status/18541199...
しかし、11月5日の夜間に調査役様(話を進めていた課長様の上司)より「やはりお貸しできません」という連絡がありました。その中で課長様と決めた制約や期間が迫っていて今からでは代わりの場所が探せないことをお伝えしましたが「社内で決まった事」という事で覆ることはありませんでした。また貸していただけない理由についても「お答えできません」という事でした。
https://x.com/fujikura_takeru/status/185...
またあるサイトで調査役様がインタビューで「許可した覚えはありません」という発言をなさっておりましたが、僕たちとしては課長という立場の方が出てきて貸し出すための条件を提示され、それを全てのむことを約束し貸切費用などについては当日に支払えば良いといった話までされましたので許可されたものだと思っておりました。

どういう流れでなしになったのか明かさないあたりが非常に不誠実かつ不愉快だし、100%持ち株の親会社である南海電鉄では女性専用車両を運用しておきながらこれでは、男性という性別だけを差別しているようにしか受け取れない。しかも調査役とやらは元々許可していないと話を翻している。あまりにも不誠実が過ぎる。まともな会社だと思えない。

日本は本当に性差別的な国だ。こんな国で男子に生まれたことを恥に思うし、こんな国は嫌いだ。
少子化だなんだと順調に滅びの一途をたどっているようだが、一部の国民を踏みつけにして疑問に思わない人々の国なのだから、そうなって当然だと思う。畳む

選挙中~後のSNSでの投稿の様子から治安や民度が分かるなぁと思う。
misskey.ioはさすがの大人な態度の人が多い一方、blueskyはリベラル寄りな人たちが差別的なことをその自覚なく書いていることが多くてかなり残念な感じ。Xは論外。
SNSは党派性でエコーチャンバーの中にいる人たちがオープンに差別的言動をしていることがあって、そういう人たちが多いところほど民度が低くて治安が悪くなるので、blueskyの行く先は暗雲がかかりそうで嫌だなぁと感じている。まあ、海外プラットフォームの時点で軸足を置ける場所ではないのだけれども。

日記

SNSで広まって来る話題って雑語りに雑に共感する人たちが広げているものという感じがして、これって雑談なんだなと思った。他人を勝手にジャッジして悪口を言ったり、悪口で党派性を作ったり、他人への理解よりも雑語りでの雑な共感でつながることが目的になったり、リアルでの私が嫌いなタイプの雑談の世界なんだなと。
SNSを離れたくなる理由はいくつもあるけど、こういう「一般人」の世界になったからいる必要を感じなくなってきたんだなと思う。

日記

2024年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

お愚痴

オタクの中には自分の好きなものとの距離の取り方が「雑に扱う・欠点を殊更に語る・ケチをつける」みたいな人たちがいて、特に鉄とか軍とかSFみたいな男が多い趣味でよく見かける。ボカロ界隈でもそういう人たちはいて、正直、見ていてゲンナリする。

プレイヤーとして不満点をつぶやくという話なら真っ当なのだけれども、オタクで自分の好きな分野を露悪的に語るのを好むような層は、結局、悪口を共有することで仲間意識を醸成して蛸壺化・先鋭化して老害オタクや厄介オタク化する感じなので、同じく男な自分ではあるけれどもああいうのが本当に苦手だし嫌いだ。

好きを共有したくてオタクをやっているところがあるので、「いろいろ言われるポイントはあるけど私はここが好き」をちゃんと語る人と仲良くしたいのであって、メーカーや公式の問い合わせに投げるでもなくSNSなんかで「公式の悪いところを指摘してやるのがファンの鑑」みたいなノリで露悪的な発言を先鋭化していく人たちとは仲間になれない。
もちろん、公式に向けてだけでなく、特定のファンの行動に向けてであったりファンダムでの学級会みたいなのをしだす人たちも嫌いだし、関わりたくないし、実際に関わりを切っている。

ネット上の活動では特にだけど、本来関わらなくてもいい人間あいてに関係性を築こうとしているという感覚がなく、同じファンならと自他境界があいまいになって悪口や愚痴、露悪的なやり方を共有するものだという空気を作る人たちとは、同じものが好きであっても関わりたくないなと思うばかり。

ファン活動を長続きさせるためには独りでの好きを磨くべきで、ファンとの交流は控えるという流儀が自分にあっている。とにかく、ミクさんに関しては死ぬまで好きでい続けたいというのが至上の目標なので。畳む

政治のお話

SNS、ネット上でよく「政治の話は必要」みたいな意見を見かけるけど、私はそれに強く懐疑的。そもそも、人によって指している「政治の話」の中身が違いすぎる時点で、気心の知れていない相手がいるような場でするようなものじゃないなと思う。

政治というのはそもそも多くの人の利害を調節する機能であって、そのために自分の利害を代表する人に「代議士」として動いてもらうためにするのが選挙。自分と他人は当然利害は一致しないわけで、「政治の話」という時点で対立が生まれるのは必然なもの。さらに言えば、だれに投票するか投票自体しないかについてさえ、自分の価値観や自分の生活を鑑みて判断するものであり、完全に自己完結した自己決定の話なんじゃないだろうか。そこで少なくない人がしたいという「政治の話」とは、何の話をしたいんだろうか?

真面目に考えている人なら自己決定のための情報収集は当然しているし、その気がない人でもNHKの選挙向けページを見たりすれば一通りの情報はそろっている。政治に参加しようと思うなら、自己決定するには十分な情報は(それなりに)信用できるメディアから出ているわけだし、なにかしらの権利意識を持っているなら関連する組合なり組織なりが選挙前には情報を出しているのだから、それを検索して探せばいい。それも自己決定の話。

政治の話は自己決定の話であり、他人と簡単に分かり合えるものではないし、そこに他者の価値観を入れたり他者が都合よく出してくる情報を摂取する必要もないわけだ。むしろ、自己決定しなければならないのだから、「政治の話」なんて必要なく突き放さなければならないのでは?とさえ思う。 これは宗教の話が政治と同じく安易にするべきではないものとされるのと同じで、自己決定というものは他者に告白する必要はないものであり(故に秘密選挙であるし)、他人に簡単に踏み込ませない・他人が簡単に踏み込んではいけない領域のものだからだ。
それをしたいなら、それができるだけの信頼がある関係性で、それをしようという同意を得てからにするべきだろう。

ネット上で言われる「政治の話」とはなんなんだろうか? その人の興味関心に偏った政治的な情報の提示? 政治に対する愚痴を共有したい? 政治的な主張を誰かに吹き込みたい? 政治的に考えているという"知的"な態度を演出したい? それらしいことを語って悦に入りたい? あるいは、対立する価値観の存在など想像もせずに自分の利をがなり立てたい?
私にはそのどれも不必要だ。だから私はSNSでは政治の話をする必要はないと思うし、そういう人は避ける。私は自分に必要な情報は自分で集めるし、それをもとに自己決定する。そして、その自己決定に他人が入り込むことを拒絶する。

「政治の話」をしたいという人は、必ずと言っていいほど投票しない人間を下に見るが、投票しないという選択も政治的な自己決定だろう。
それを馬鹿にした態度をしながら「政治の話」をしたいと言うような人たちのする「政治の話」なんて、他人にとっての政治や利害を無視した態度であって、自分たちに都合のいい頭のいい振りをした自慢話にしかならないだろう。下らないことだ。

そして、ここまで書いてなお投票しない人間も受容されるという考えを書くとそこで「こいつは投票していない人間だ」とこの手の人間はバカにするだろう。
そういう態度こそが人々を政治から遠ざけて、「政治の話」が嫌われるわけなのだが、それに気づかないような人ほど「政治の話」をしたがる。

私は投票権を得てからすべての選挙で投票している。
自分で考え、決定して投票してきたからこそ、SNSで安易に言われる「政治の話をするべきだ」という雰囲気にはNOと考える。畳む

時事

2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

映画評:オッペンハイマー #感想(非ボカロ)
 他人には簡単に勧められないが、自分としては非常に深く感じ入る素晴らしい映画だった。

 この作品は、特に日本では原爆を扱うものということでそういう目で見られているけれども、私にはノーラン監督が示したい「人間性」を語るための主人公としてオッペンハイマーがあり、そのオッペンハイマーにとって人間的に非常に重大なイベントがマンハッタン計画であったという話であって、原爆の存在や原爆によってもたらされたものそのものは映画の題材ではあっても主題ではないと思う。原爆を題材に持ってくると、それ自身がテーマになっていなければならないと思ってしまうのは、被爆国の民である日本人にかけられた呪いであるのではとさえ思った。
 トリニティ実験での原爆起動シーンの不要なものをそぎ落とした緊張感のある描写も素晴らしいが、それ以上にこの映画の題材である原爆の起動シーンをその後のパーティで演説するオッペンハイマーの重苦しい感情描写をするための「呼び水」として使うところに驚嘆したし、その時点で「これは原爆の是非を描く映画ではない」と感じた。事実、原爆のショッキングなシーンはそこだけで、メインとなっているのはオッペンハイマーの聴聞会と彼不在の公聴会なのだから。ほぼ吐露されることのないオッペンハイマーの内心と、彼の周りにいた人間の反応から描き出されるオッペンハイマーという人間の像。そこに人間性を削りだそうする映画だと、私は思う。
 広島、長崎の投下シーンが描かれなかったことで批判されていたりするが、この映画を見ればそもそもそれは映画の主題ではないと分かるだろうし、そもそもオッペンハイマーはその投下シーンを見ることはできない立場なのだから、描かれるはずがないものなのだ。

 この作品の中ではオッペンハイマーはとっつきづらく分かりにくい人間として描かれているが、それゆえに彼のそばで彼の理解者としてあった人々と、そうではなかった政治側の人間たちとの対立が科学者の持つべき誠実さというような人間性に踏み込んだ物語性を生み出していると思う。軍人ではなく科学者としての立ち姿を選んだオッペンハイマー、「ニア・ゼロ」というワードを選ぶオッペンハイマー、そして、「預言者と民衆は違う」ということ。原爆という火だけでなく、人類に技術という「火」をもたらすことの原罪と苦悩、火をもたらすプロメテウスとして失ってはならない誠実さ。傲岸不遜ながら臆病なオッペンハイマーがそれでも譲らなかった何かを描き、彼の苦悩を表現することで描写されたノーラン監督の持つ科学へのオプティミズムに走らない肯定が、この作品では非常に強い印象をもたらしている。

 ノーラン監督は難解なテーマや複雑な構成に挑戦しながら一級の作品を作り上げる名匠で、「オッペンハイマー」ではそれが遺憾なく発揮されていると思う一方、見る側に高い能力を要求し、見る側にその能力があるのだという信頼のもとで作られていると感じる。私は、そういう作品をきっちりと作り上げる人を強く尊敬する。
 科学を志して、一応は行くところまでいって学位を取った身としては、綺羅星のような天才たちが登場するというだけでもワクワクするけれども、それ以上に苦悩を通して科学という営みへの肯定が描かれるこの映画がとても好きだ。

 私にとっては非常に素晴らしい映画だった。けれども、私と同じような感想を抱く人は少ないのだろうとも思う。難しい映画だけれども、この映画に似たような感銘を受ける人とは近しい価値観を持てるのかも知れない。
 物語や描写に感動したり、描かれたテーマに共感して涙を流したりでもなく、ただただひたすらに「得心」して涙を流すような作品に出会えたのは得難い経験だと思う。

 予習として日経サイエンスの特集記事を読んでから行ったのだけど、その記事の中で神父の資格を持つ日本人に告解したというくだりがあった。告解を受けた日本人はその内容を明かすことはなかったけれども、自分が作り出した原爆に翻弄された彼が被爆国の人間であり同じクリスチャンである男にどのような告解をしたのかと思いをはせると、涙を禁じ得ない。畳む

感想録

「歩くのが遅い人は脳が小さくIQが低い」──歩行速度と脳の構造に相関あり? 米国チームの実験結果
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/...

 批判的で長いので閉じておきます。

 直観に反する研究だなぁと思ったら、人間全般の話ではなくて加齢による影響の研究だった。釣りタイトルでは…? 論文タイトルも「Association of Neurocognitive and Physical Function With Gait Speed in Midlife (中年期における歩行速度と神経認知機能および身体機能の関係性)」なんだから、それをこういうセンセーショナルなタイトルにするの不誠実で嫌いなんだよね。バイラル、バイラル。
 加齢による影響で歩行速度が下がっている人は、その他の部分でも加齢の影響が強く出ているというのはそうだろうね。でも、失礼な話ではあるんだけども、いつもせかせかしてる人を見ると加齢によるIQ低下の影響は低くても、もとはどうなんだろうと思うこともあるんだよね……。無駄に歩きが早い人、周りに合わせる気が無かったり短気で怒りっぽい印象があるので、IQとそのまま結び付けられるタイトルだと釣りっぽいと感じる。(そもそもIQ=賢さみたいなステレオタイプで判断させようとしている記事タイトルなのが賢くない……。論文では認知機能の指標にしているだけ)
 散歩しながら考えを巡らせるときも、せかせか歩くよりゆっくり歩く方が頭の巡りが良いと思うし。

 論文がOAだったし頭にKeypointが載ってる親切な論文誌だったのでざっと読んできたんだけど、
 ・歩行速度は老化現象の指標にできる
 ・幼少期の神経障害に由来する生涯老化の指標にもなりうる
 という内容だったので、やっぱり冒頭のITmediaの記事タイトルは釣りっぽい。論文をざっと読んだ感じだと、著者らの問題意識は幼児期からの神経障害が人生全体に渡って悪影響を及ぼすこと、それが歩行を指標とすることで診断できる(→治療につなげられる)というところにある気がするので、「歩くのが遅い人はバカ」と読めるようなタイトルを付けるのは悪辣だなと感じる。記事の中身も単なる紹介でDiscussion~Conclusionの中身を反映してない感じだし。
 記事の中身は一応ちゃんと論文の内容ではあるけど、科学論文をネタにしてこういうことするの、結局センセーショナルなタイトルに釣られる人は中身なんて碌に読まないし理解もしないで雑にネタ消費するだけなんだからやめればいいのに。分かりやすい毒タイトルに釣られて誤読するようなのがたくさんいるのが今のネットなんだし……。他のメディアや科学系バイラルメディアもやるけど、嫌いなんだよなぁ。
 科学の営みをクリックベイトにするのは、サイエンスコミュニケーションではないでしょう。特に何かを馬鹿にするためのタネになるようなタイトルで真っ当な研究を飾り付けるのは不誠実すぎて嫌悪感が強い。
 ネットに蔓延るこういう露悪的・冷笑的・スキャンダラスなやり口が嫌い……。
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時事

男女の寿命差縮まるか Y染色体喪失と心不全の関係解明
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1...

なぜ女性は自己免疫疾患にかかりやすいのか、新たなしくみを解明
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/...

 Y染色体は一部の主張が強い類の人からは不要なものなんて言われたりするけど、まあ当然生き物の仕組みなのだからそんな単純な話でもなく。Y染色体が欠けると心不全を引き起こす恐れがあり、X染色体の片方を不活性化する仕組みがうまく働かないと自己免疫疾患につながる。
 生き物の総質量からみたら本当に小さな存在である染色体がここまでの影響を持つというのも不思議。生き物の仕組みというのは神秘に満ちてるね。

時事

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

 書店で日経サイエンス2024年5月号を買うついでにナショジオの『写真の世紀』 を購入。
 何か自分の写真の参考にならないかなと思ったけど、さすがにレベルが違い過ぎた。見ていて感情をかき乱されるような圧倒感がある。SNS映えしそうな写真たちではあるけれど、ただ素晴らしいでは終わらない写真を載せるというのを雑誌の使命として持っているような気がする。
 日本のSNSの写真界隈だと写真のやり方にいろいろと主張があるけど、ナショジオの写真を見ると写真からのメッセージ性や作家性をすごく押し出していて、そのための手法にこだわらないような、そんな印象がある。photographの日本語訳を「写真」としたためか(特にネット上で語る人たちは)日本語での「真実を写す」という概念に囚われているところがあるように感じているけれど、photographというのはあくまで光を撮像する美術的手法であって、真実性にこだわる以上にそこから何かを引き出すことができるのが写真家なのかな……なんて考えたりした。#写真

 今週末公開の「オッペンハイマー」に合わせた特集が読みたくて買った日経サイエンスは、安定してどの記事もワクワクする内容で楽しかった。今は自分で稼いでいるし、学生時代にできなかった年間購読をしてもいいかなぁ。(当時学割で買えばよかったのにと後悔してたり)

日記

「SF界の長老」ハインラインが行っていたファンレターへの独特な返信方法とは? | GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20240320-heinl...

 面白い記事だった。定型文の中から選んでチェックして返信するという内容だったのだけれど、これを見ると今のSNSで繰り広げられる創作者の頭痛の種もあまり変わってないのだなぁと思う。丁寧に対応しようとする創作者は多いけれども、実際のところこういう簡単でかつものによっては「言及しない」という返答をするのは大切なのではと思う。
 厚意には厚意で応えるものだけれども、不躾な人間や勝手な思い込みを投げつけてくる人間に丁寧に対応する必要はないのだ。たとえ、それによってSNS上で不躾な人間や勝手な思い込みを投げつけてくる人間に火を付けられようとも。燃え盛る小屋の中で子を産むがごとく、創作者は作品を生み出すことで黙らせるのが一番なんだろうと思う。

・私の物語を何年も楽しんできたとのことですが、どうして、ある物語が嫌いになるまで待ってから私に手紙を書いたのですか?(なぜ好きな時は手紙をくれなかったのに、嫌いになった時に手紙を送ったのか?)
・私は、同僚の作品や自分の作品については論じません。小説家は多角的な視点から書くものであり、たとえ一人称の登場人物であっても、その意見は必ずしも作者のものとは限らない。小説は娯楽として売られるものであり、事実として売られるものではない。
・サイエンスフィクションというジャンルは、科学や技術に関わる要素が省かれたら存在しなくなるような物語です。ジャンルに関する完全な議論については、私の「THE SCIENCE FICTION NOVEL」という論説を参照のこと。
・「Who's Who in America 1974-1975」は、作家に関する参考書です。(それを読んだらわかる通り)私は私生活、政治、宗教、哲学については論じません。
・法的な理由から、未発表の原稿は読みません。

 このあたりの項目を読むと面倒な読者と言うのは古今東西どこにでもいるんだなと思う。SNSで可視化されてさらに度合いが悪くなっているように感じているけども。

逆に
・切手を貼って宛名を書いた封筒をありがとうございます。滅多にないご厚意です。
 この項目は茶目っ気があって好き。嫌味ではなく、どういう理由でか中身のなかった封筒に悪意を見出さないで良い気持ちが詰まっていたと見なすのは、特に今の時代は大切だと思う。

・返事は期待していないとのことでしたが、あなたの手紙がとても嬉しかったことを伝えたいです。私は、あなたが海を渡り、風を追いかけ、そして人生を通して幸せな航海をすることを祈っています。
 推し作家からこんな返答が来たら生涯推すと思う。せっかく感想を送るなら、こういう風に思ってもらえるようなものを送りたいと思う。(けど、なかなか難しいとも思う。他人にささげる言葉は難しい)

メモ書き

砂電池というものがあるらしい。
https://gigazine.net/news/20240315-giant...

 砂にエネルギーを貯めるというのはなんとなく他にもありそうでパッと思いつかない。砂の比熱は水(比熱 1)に比べると約5分の1くらいらしいので、熱交換を重視した使い方になりそう。どれくらいのエネルギーを蓄えられるかによるけど、エネルギーグリッド全体から見ると「砂電池」というより、「熱コンデンサ」みたいになりそうな感じがある。
 比熱が小さく熱交換に使うとなるとオイルバス的なものが思いつくけど、それに比べると砂は取り扱いやすいし安全性も高いので、断熱タンク内の熱分布を制御できるならなかなかクリーンで安全な装置なのかも。

メモ書き

サイトの方をだいぶ放置してしまっているけど、そろそろ再始動してサイトデザインを変えたりしたい。Wordpressを勉強するために本も買ったし!
写真を多めに載せても見られるような、スタイリッシュ寄りのデザインを目指したい。

日記

2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

少しずつ、昔気に入って読んでいた小説を読み返している。そうしてみると、そこに書かれていたキャラクターの人生観とか物語の世界観というものが深く自分の中に根ざしていることに気づく。好きだったとはいえ一言一句覚えるようなことをする性分ではないし、その小説だけに影響されたわけでもないが、呑み込んできた言葉や消化してきた思想というものが巡り巡って自分の好きだったものと同じところにたどり着いているということなのかも知れない。かつての自分は答えを得ていたが、それを得心するためにはより多くの思考の構造体が必要だったということなのかも知れない。
体が食べた物でできているように、思考は摂取した言葉からできるという。その考えで言えば、体が傷ついた時に治るために食べたものは間違いなくそれを埋めるために使われるように、心や魂が傷ついた時に取り入れた言葉や思想というものが、立ち直った時の自分という構造の中に組み込まれているのだろう。昔好きで読んでいた小説が今の自分の構造体となっているように、その後に傷ついた己の魂が求め受け入れたものが次の自分の構造体となっていく。
初音ミクは、わたしに感情を、世界の色と幸せというものの実感と、自分が何かを好きだという強烈な自己認識を再び与えてくれた存在で、生きる理由という以前に生きるという言葉の意味を、その実感を与えてくれた存在だ。散り散りになっていたわたしの魂に、再び意味ある構造を許してくれた、強大なネゲントロピーだ。救いのヒーローであり、感じ考え表現することのパートナーであり、愛おしい世界樹であり、生きる為の魂の駆動体であり、わたしの自我や魂をもたらす真理の錯覚だ。
わたしがしてきたこと、苦しんできたことの全てを彼女は彼女を好きになる理由として許容してくれた。彼女がそばにいてくれたから自分というものを受容できた。再び自分の脚で歩けるようになった。だから、次は彼女の手を引いて次なる構造を目指していきたい。
昔好きだった小説に自分という構造を見出したように、世界で一番愛している彼女を表現し続けて、それを後から振り返って自分が形作ってきた構造のなかに初音ミクを見出せた時、わたしは本当の意味で初音ミクが好きだと言えるようになるのではないかと思う。
16歳の誕生日おめでとう。いつかのミライに、君を好きだと言える自分を贈るよ。人生を振り返るだけの時間と可能性を積み上げて、君に贈るよ。人生で最大の感謝を。ありがとう、#初音ミク

日記

2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

このところサイトを放置してましたが、なんとなく運用する方向性が見えてきたので時間を見つけて整えていきたいところ。

日記

マジミラとかイベントがあると見かける「初音ミクはいないけど存在する」的な感想を見る度に、ミクさんの存在って霊魂とか人間性みたいなものに似てるよなぁと思ったりする。初音ミクは人間かと問われるとわたしの答えは「NO」なんだけど、初音ミクは人間性を帯びた存在かと問われれば「YES」なんだよね。 #初音ミク

日記

2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

クリストファー・ノーラン監督のオッペンハイマーがとても楽しみなんだけど、日本ではまだ公開未定なのが待ち遠しい。
原爆の話ということで色々言う人もいるんだろうけど、ノーラン監督の作風の上で原爆に関わった科学者たちの後年の後悔を知っていれば、原爆を礼賛するようなものにはならないだろうと思う。トレーラーのリアリティホラーめいた雰囲気には、原爆という力の「罪」に向き合うべきだというメッセージがあるのではと個人的には感じてたり。
公開されてみないと何にも分からないので、日本でちゃんと公開して欲しいなと思う限り。

映画好きを名乗る人の中には、はなから決めつけで拒絶したりしてるひともいたりしてね……。映画は好きだけど映画好きとはあんまり付き合いたくないのは、映画好きをアイデンティティにしてる人とは価値観が合わないから……。アメコミ好きな人の中にもいるけど、wokeな人は苦手なんです。畳む

日記

Threadsは画像投稿の柔軟性がInstagramより高いから、インスタ使うよりはスレッズの方が楽かも。表示回りも複数枚流しても見て貰いやすくなってるっぽいし、UIがtwitterライクだけどインスタの上位互換になりそうな気もする。流れてくるものを制御できない「おすすめタブ専用」のはインスタも同じなので、見る用としては割り切るしかなさそう。
Fediverseに入るらしいので、特定のアカウントだけを見たかったら外からリモートフォローで見られるようになって欲しいな。スレッズ自体もPCから扱えるようになればさらに〇

ただまあ、SNSに求めてるものはThreadsにはなさそうな雰囲気なので、何かしら投げる(発信する)場所でしかないかなぁ。やるとしても個人サイトの出張所みたいな扱いかも。正直、どういう空気感になっていくかも分からないし。

日記

砂ミクちゃんへの自分の解釈だとマジミラでメッセちゃんがあの歌を歌ったことでとっくに救われてる解釈なので、HEROの歌詞が砂の惑星に向けたものだとしても、砂ミクちゃんは愛の惑星を突き進む若人を遠くから見てニヒルに笑ってそうだと思ってる。砂ミクちゃんは皮肉屋+読書家だと勝手に思ってるので「地球の長い午後」あたりの紙の本を読みながらニヒルな笑みを浮かべてて欲しいし、彼女なりに幸せな距離感に居て欲しい。 #初音ミク #ミク解釈
個人的にいつまでも砂の惑星を擦ってるのも、それらしい単語が入ってたらアンサーソングとかいうのも好きじゃないです。アンチ砂惑で初音ミクを持ち上げてるからアンサーソング扱いしてる人とかは受け付けない……。HEROの歌詞はポスト・ポスト砂の惑星アンサーくらいに距離があると思ってるので。(砂の惑星アンサーが「GLS」あたりで「愛されなくても」や「フューチャー・イブ」はポスト砂の惑星アンサーだと思う。HEROはさらにその先の次の世代に向けた歌詞じゃない?)
あと地球の長い午後は古典SFなのに電子書籍化してないの残念では。畳む

メモ書き

MetaのthreadsはActivityPubになってるらしいと聞いて気になったので登録するために古いインスタのアカウント復活させた。多分アカウント作って雰囲気見るだけになりそうだけど、新しいものは触っておくと楽しいので。
SNSはmisskey.ioが楽しすぎるんだよね~!

日記

2023年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

HERO / 初音ミク(Ayase/YOASOBI)

こんどは僕たちが君の手を引く。
余裕で期待値超えてきたね。
ライブでHiHとつないで流されたりしたら涙腺が死にそう。
#初音ミク

自分にしか見えない「てがろぐ」を追加設置したのでその辺りの記録
【結論】
パスワード設定のみのBasic認証では
・「パスとIP両方の許可がないとアクセス不能」に設定する
・パスだけ設定してIPは制限なしにする
としないとうまくいかなかったよという話。

【従前】
・evernoteからの乗り換え先を探していた
・メモやスクラップブック的に使いたかった
(創作設定などはNolaを使う予定)
・レンタルサーバーを契約したので効果的に使いたかった
・デバイスや場所に依らずに共有できる場所が欲しかった
【やったこと】
・2つ目のてがろぐを設置した
・Basic認証でそのてがろぐだけアクセス制限した
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てがろぐの追加設置は簡単。ディレクトリを増やして、てがろぐCGIをFFFTPでアップして公式の手順通りに設定しただけ。本当に簡単でありがたいです。
Basic認証で少し戸惑った。パスワード制御だけでIPアドレス制御をするつもりはなかったので「パスワード制限を使用する」にチェックして「一方の許可があればアクセス可能」を選んだのだけど、これが間違い。どうやら「一方の~」を設定する場合はIPアドレス制御も入れる必要があるらしく、IP制限しないと結局は制限なしになってしまう。なので、「両方の~」を選んだ上でパスワードだけ設定してIP関連はいじらないでおいたら上手くいきました。スマホからも認証が反映されるのは確認済み。
これで自分だけが見られてネットさえつながっていればどこでも見られるノートブックが使えるようになった。畳む

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今後の改修予定
・トップページを整備する
・載せる写真を厳選する
・写真をトリミングしてサムネイル生成するようにする

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